ひめごと
苦しいような夏が過ぎ、秋を越えて、冬になったとき、あのひとはそれをした。
あのひとは受験生だというのに随分余裕で、しょっちゅう私と会った。放課後もよくひとりで絵を描いている私のところに来ては、そう集中している様子でもなく単語帳を見たりしていた。私は彼女が勉強する姿といえばその程度しかみたことがなかったので、のちに東京の有名私立大学に合格したと聞いたときには驚いた。けれど同時に、彼女が大学に落ちるという姿を本気で想像していなかった自分にもきづかされた。いつだってなんだって、彼女は要領よくそれなりの結果を出すひとなのだ。
そのときも私は絵を描いていて、彼女は横で本を読んでいた。冬の短い夕暮れどきの美術室だ。やがて飽きたらしい彼女は、私の絵を覗き込んだ。
「最近いつも花瓶とか彫刻とか描いてるのね」
「ほかに描くものもないですし。外は寒いし」
「うーーーーん」
彼女は芝居がかったしぐさでのびをして立ち上がると、ふいにモチーフをのせた台の前に立った。
「・・・邪魔ですよー」
「モデルになってあげる」
「この次の絵のときお願いします」
「えー、御希望とあれば脱いじゃうよ?」
私は笑った。
「じゃあがんばって描きます。モデルが誰なのか、先輩のこと知ってるひとが見たらすぐ分かるくらいそっくりに」
もちろん単なる冗談だ。
「そう?じゃあそれ見たひとにはすぐわかっちゃうのね。私と加南ちゃんは裸を見せても平気なくらい仲良しなんだって」
そういって制服の上に着たセーターを脱いだ彼女をみても、私は別になにも思わなかった。
「暑いですか?ストーブ弱くします?」
「ううん平気」
しかししゅるりとリボンをはずし、上着に手をかけた彼女に目をとめる。
「・・・いや待って、なに本当に脱いでるんですか」
「だって描いてくれるんでしょ」
「や、だから後でというか、こんなとこで脱がれても」
「誰も来ないわよ、昨日もずっと二人だったじゃない」
「なに言ってるんですか、もし誰かに見られたら恥ずかしいのは先輩でしょ」
「誰も来ないわよ」
夕日を受けた彼女の肌が、ほんのりと陽の赤みを帯びている。それを綺麗だと思ってから、彼女が本当に制服の上着を脱いだことに思いいたる。
「ちょ、やばいですってば。露出狂?そんな趣味が?」
「今更なあにい。私の裸なんかさんざん見てるじゃない」
「ああ、やめてくださいそんな状況を想像させる卑猥なものいい!」
私達は確かに何度も肌を重ねたが、先輩の家以外の場所ではそんな素振りすら見せたことはない。ましてや学校で友人以上にみえるような真似などしたこともない。突然の彼女の行動は、私にとって不可解だった。
「ふうん、加南ちゃんはこういう状況だとどきどきするのかあ」
「どきどきとかじゃなくて・・・」
「ハラハラする?」
キャミソールの裾をひらめかせつつ、おおげさな身ぶりでスカートのジッパーをもおろしてみせようとするあのひと。私は焦った。おそらく確かにひとは来ないだろう。昨日も一昨日も最終下校時刻まで、この部屋には誰も来なかった。しかしそういう問題ではない。万が一のことがおこったらどうするのだ。
そう思ったとき、万が一がやってきた。
ドアのあく無感動な音が、私の心臓を蹴り飛ばした。
「なにやってんの、あんたら」
可奈子先輩だった。
「章子(しょうこ)、なんで上着てないの。この寒いのに」
「芸術に協力しようかと思って」
驚きすぎている私をよそに、あのひとがあっさり言った。憎らしいくらい動揺の窺えない声だ。
「なに言ってんだか。大体あんたなんか描いてないじゃん」
可奈子先輩も驚いているようだったが、近付いてきて私の絵を覗き込んだ。
「でも加南ちゃんがモデルになってっていうからあ」
「な、なに言ってんですか!」
「ああああ、そりゃよくないぞ加南。先輩を脱がすとは」
「ちがいます!」
軽口を受けるうち、私も平静を取り戻した。そうだ、このまま冗談にしてしまえばいいのだ。言っているうちにあのひとも服をきて、何ごともなかったかのように場が整えられていった。
「可奈子、部活やっていくの」
「ううん、まさか。道具とりにきただけ。帰って勉強ですよ」
「そう、すぐ帰るの?」
「うん」
そういいながらすでに出口に向かう可奈子先輩は、最後に私達をふりかえって言った。
「しかしあんたたち、ほんとに仲良くなったねえ」
冗談ではない。