ひめごと
あのひとは、私よりも一年上級だった。中高一貫の私立女子高に、高校から入ったあのひとは、その優れた容姿で中等部まで有名になった。水泳部に所属していたため、顔だけで無くプロポーションも抜群にいいのだと知れ渡った。同級生のなかにも、水泳部の活動を覗きにいくほどあのひとに執心している者もいた。
しかし私にはそういう手近な存在をアイドルに見立てて騒ぐ趣味はなく、ただ、へえそんな美人がいるのかと思ったくらいで、とくにあのひとを見るのに愉しみを覚えるようなことはなかった。高等部に進学してからもそれは同じで、球技大会などで黄色い声援を浴びるあのひとを遠目に見ては、女が女に歓声をあげるとはなんとも女子高らしい光景だとぼんやり思っていた。
同性から人気があるといっても、あのひとは男性めいた容貌をしていたわけではない。むしろ誰より女性的で、性格も目立つことを好まず、うちとけた相手以外の前では大人しいほうだった。人見知りがするのだという彼女と、ほとんどなんの接点もなかった私が知り合ったのは、高校二年の春だった。総勢4名の美術部に在籍していた私は、二年唯一の部員で、先輩方からは可愛がってもらった。先輩からすれば、たった一人の後輩だから他にかまう相手もいなかったということなのかもしれなかったが、かなり仲はよかった。そのうちの一人とは家が近かったということもあって、学校の中だけではなく休日も時折一緒に遊んだりした。そもそも私と、可奈子というその先輩しか毎日美術室に来る部員はいなかったのだ。他2名の先輩方は週に二度ほど顔をだすくらいで、学校で描くタイプではなかった。だから私と可奈子先輩は本当に仲がよかった。可奈子先輩は髪が短く、背も高くて、一見運動部に所属しているように見えるひとだった。実際運動神経もよいらしかったが、絵を描く方が好きなのだと言っていた。
あの春の日、私と可奈子先輩は校庭脇の桜並木の下で写生をしていた。天気もよくて、青い空に染井吉野の白い花が綺麗に映えていた。私は先輩と他愛も無いおしゃべりをしながら桜にみとれていた。
そこにあのひとが現れたときのあの感じを、どう言えばいいのかはわからない。
美しい桜の木の下に立って、むしろ桜を引き立たせるための添え物のように見えてしまう哀れな女子たちのなかで、あのひとだけが異様だった。白い花の下を通る乙女達の大半は、蟻に運ばれている蛾の死骸のような風体をさらしているが、あのひとだけは違った。存在が違うのだと瞬時に思った。桜の下、ひしめく蛾の群れのただなかに、一輪の牡丹が咲いているかのような。はっきり言って異様であった。蛾は蛾で可愛い、牡丹は牡丹で美しいものだ。しかしそれらを舞い散る桜とともに一枚の絵におさめてしまうと、たちの悪い冗談のように見えた。桜と蛾は互いに互いの存在を引き立てあい、互いのもっとも見るべき部分を誇張ぎみに主張する。しかしそこに突如現れた牡丹の存在は、ただ異質でしかない。桜と美を競うでもない、蛾を己の引き立て役にするでもない。その絵のなかで、牡丹だけが他から持ってきて貼付けたように、ひどく浮いているのだ。
その牡丹がこちらに頭を向け、しかも軽やかな足取りで向かってきたときには、私はひどく驚いたのだった。
でももちろん、あのひとは私に用があったわけではなかった。私の隣の、可奈子先輩に気づいて寄ってきたのだった。可奈子先輩とあのひとが同じクラスで、わりと仲もよいのだということを、私はそのとき知った。
それにしてもなんとまあ、細くて白いひとだろう!なんて綺麗なひとだろう。間近で見たあのひとの感想はそれだった。そんなに綺麗なひとを、私はそれまで見たことがなかった。他の人間に言わせれば、また違う意見もあるのだろうが、とにかく私にとっては最高に美しいひとだった。私の好むタイプの容貌に、ぴったりとはまっていた。
あのひとは可奈子先輩に絵をみせてくれと言い、恥ずかしいからと断る先輩とスケッチブックを取り合ってきゃいきゃいとはしゃいでいた。先輩が苦し紛れに私を指して、この子の方が上手いから見るならこっちにしろ、と言ったとき、初めて私とあのひとの目があった。
「二年生?」
美人は声まで綺麗だと思いながら、私は彼女の問いかけに頷いた。彼女はそのまま私の絵をのぞきこむと、目を軽く見開いた。
「ほんと。すごい上手ねぇ」
習作とはいえ、褒められて悪い気がするはずはない。ましてや自分好みの美人に言われれば、おせじだろうと嬉しいものだ。
つまり彼女の第一印象は、私の中で決して悪く無かった。美人なのに気さくで、その日は結局三人で楽しく帰った。でも冷静に考えたら、美人だからといって気さくという性質があれほどの好印象になるのは少しおかしかった。美人というだけで気位が高いようではよくないのだし、そう思えば醜女の気さくさと同程度の好感になるのが普通のはずだった。けれどあのひとはなにか顔だけで無く人に感じさせるものがあった。このひとをよいひとだと思いたいと、無意識に思わせるようななにかだ。それが彼女のよい部分のひとつひとつを実際以上に他人の中で強調するのだった。
けれどそんなことに私が気づいたのはずっと後の事だ。そしてそれに気がついたころには、私は彼女について単なる友人以上の知識をもっていた。あのひとがちょっとしたことでも、すぐすごいとか上手とか言うのだと、もう口癖のようなものなのだということは、友人のままでもわかっただろうが。