ひめごと
昔抱いたひとのことを今でもよく覚えている。若気の至り以外のなんでもなかったと、今では思ってしまうあのひととの時間。いや、当時からそんなふうに思ってはいたのだ。紺色のセーラー服に身を包んだあのころの私達は、自分達の若さを知っていた。幼いことの強みも、無知でいられることの価値も知っていた。それを理由に他人には言えないようなことをやってのける強靱な神経と、背徳の行為に悦楽を感じる互いの性格を、私達は見抜いていた。けれどそんなことはおくびにも出さず、感じやすいこころで互いに寄り添いあうふりをして、全てはこの思春期という若く青い時間のせいなのだと、己の選択の責任を他になすりつけられるくらいには、私達は計算高い子供だったのだ。
あのひとは私のはじめての恋の相手ではない。それは今にして思うと惜しいことだ。あの美しく、狡猾で、百合の姿と食虫花の薫りをあわせもつひとが恋情を向けた最初の相手だったなら、私の青春は随分耽美的な色合いをもって飾ることができただろうに。でも残念なことに、あのひとと私の間にあったのはそんな切ない感情ではなかった。あのひとと私を結び付けていたのは、もっと単純で、ゆえに言い訳ができないほど醜い気持ちだった。それは単純な思考であるがために美辞麗句で飾って誤魔化すことができなかった。もっと複雑な構造がそこにあれば、いくらでも言葉を費やして、美しくみせかけられたのだろうが。例えば「思春期特有の美しい同性への恋着」とか「無垢であるがゆえの常識に縛られない感情の発露」とか、そんなふうに表現できたものなら、あのひととの関係はリベラルを自称する人々の間では、むしろ美談として語られることができたかもしれない。
でもかなしいかな、事実はそうではない。そんな「幼かったからそういうことがあってもまあしょうがない」ような話ではない。私とあのひととのひとときは、おそらく他者から好意的に理解されるようなものではなかった。私はそれが本当に残念で仕方がない。私は他人に理解されないことを愉悦のように感じる性質ではなかった。理解を得られないことで自分を特別な人間のように感じることのできる思考回路は私にはなかった。だから私は、あのひとと共に過ごすときはいつも思っていたのだ。これがもっと綺麗な感情----例えば恋とか愛とかだ-----から発生した時間ならいいのにと。それならいつかは高校時代の切なくも甘い思い出として、でなければ若かりし日の過ちとしてでもいい、誰かに笑って語れる日が来るのにな、と。しかしそうではなかったため、私は今、あの頃危惧したように、あの思い出を誰にも話せないまま、忘れることもできないまま、日々を過ごしている。あのひとと重ねたあの日々を、笑い話にもできないまま、ひとり引きずり続けているのだ。
「ねえ、加南(かなん)ちゃん」あのひとは言う。「知らないままの方がいいことは、知らなくていいのよ」
ひんやりとしたあのひとの手と、対照的に暖かなあのひとの腹や腿。白くやわらかいそれらの感触を、私の手は忘れても、私の目は忘れない。あのひとが見せつけるようにして見せたあの美しい躰のことを、忘れることなどできるはずがないのだ。
あのひとは私のはじめての恋の相手ではない。それは今にして思うと惜しいことだ。あの美しく、狡猾で、百合の姿と食虫花の薫りをあわせもつひとが恋情を向けた最初の相手だったなら、私の青春は随分耽美的な色合いをもって飾ることができただろうに。でも残念なことに、あのひとと私の間にあったのはそんな切ない感情ではなかった。あのひとと私を結び付けていたのは、もっと単純で、ゆえに言い訳ができないほど醜い気持ちだった。それは単純な思考であるがために美辞麗句で飾って誤魔化すことができなかった。もっと複雑な構造がそこにあれば、いくらでも言葉を費やして、美しくみせかけられたのだろうが。例えば「思春期特有の美しい同性への恋着」とか「無垢であるがゆえの常識に縛られない感情の発露」とか、そんなふうに表現できたものなら、あのひととの関係はリベラルを自称する人々の間では、むしろ美談として語られることができたかもしれない。
でもかなしいかな、事実はそうではない。そんな「幼かったからそういうことがあってもまあしょうがない」ような話ではない。私とあのひととのひとときは、おそらく他者から好意的に理解されるようなものではなかった。私はそれが本当に残念で仕方がない。私は他人に理解されないことを愉悦のように感じる性質ではなかった。理解を得られないことで自分を特別な人間のように感じることのできる思考回路は私にはなかった。だから私は、あのひとと共に過ごすときはいつも思っていたのだ。これがもっと綺麗な感情----例えば恋とか愛とかだ-----から発生した時間ならいいのにと。それならいつかは高校時代の切なくも甘い思い出として、でなければ若かりし日の過ちとしてでもいい、誰かに笑って語れる日が来るのにな、と。しかしそうではなかったため、私は今、あの頃危惧したように、あの思い出を誰にも話せないまま、忘れることもできないまま、日々を過ごしている。あのひとと重ねたあの日々を、笑い話にもできないまま、ひとり引きずり続けているのだ。
「ねえ、加南(かなん)ちゃん」あのひとは言う。「知らないままの方がいいことは、知らなくていいのよ」
ひんやりとしたあのひとの手と、対照的に暖かなあのひとの腹や腿。白くやわらかいそれらの感触を、私の手は忘れても、私の目は忘れない。あのひとが見せつけるようにして見せたあの美しい躰のことを、忘れることなどできるはずがないのだ。