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ナイトヴァーミリオン

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 スラムが最も活気づくのは、市が開く早朝と酒場の開く夕刻だ。
 一日のうちで、一番ゆったりとしているこの時は、気にしても仕方がない視線を、つい意識してしまう颯士にとって、安心して歩ける時間帯でもある。
 やる気のない、商人の呼び込みを遠くに聞きつつ、颯士は隣に緋一廊を従えて、スラムに来ているという移動市場へと向かっていた。
 個人で売買を行っている朝市とは違い、移動市場は統合政府がスポンサーとして、各地に点在するスラムに、適切な値段で物資を提供している団体だ。
 値引きの交渉はタブーだが、そのかわり、法外な値段をふっかけられることが無く、安心して買うことができる。おまけに、質も良い。
「なにを、買いますか? 少しくらいなら、奮発しても大丈夫ですよ」
 長身を、更に高く見せる黒いロングコート。少しばかり汗を掻く気温でも、緋一廊は涼しい顔をしている。
「買うもの、か。特にないよ」
「本当に?」
「うん、移動市場を見られれば、それでいいよ。緋一廊は、何か欲しいのないの? 俺ばっかりじゃなくてさ」
「おれの、欲しいものですか」
 身長差は頭ひとつ分もあるとあって、のぞき込まれると影ができる。暗がりで、さらに鮮やかさを増す緋色の目を見つめ返し、颯士は軽く頷いた。
「そうですね。お恥ずかしいことですが、おれも特に欲しいというものはありません。貴方と一緒にいることができれば、それでじゅうぶん満たされますから」
「そ、そうなのか?」
「ええ。しかし、あえて言うのであれば……服ですかね。そろそろ新しいものを買った方が良いでしょう」
「俺のかよ! いいよ、俺は!」
緋一廊が颯士の襟を正そうとするが、着古しすぎていて、なかなかしゃっきりとたたない。だが、なにもわざわざ、ここで買わなくてもいいものだ。
「いいよ。どうせ汚れるんだから、安い古着でちょうど良い。それに、買うなら緋一廊の服を買えばいいよ。そのコート、お気に入りなのかもしれないけど、ぼろっぼろじゃないか。正直、俺より酷い!」
 せっかくの、容姿が台無しだ。とまでは、さすがに恥ずかしすぎて口に出して言えなかったが、非常に残念なのはたしかだ。
「あなたの言葉を、そのまま返しますよ。……これでは、堂々巡りですね。市を見て、気に入ったものがあればそれを買いましょう」
「うん、そうだな。それがいいよ」
 半壊したビル群。かつての帝都の姿を偲ばせる通りを行き、颯士と緋一廊は広場へと出る。
 いつもは朝市が開かれている場所に、巨大な一隻の《船》が停泊していた。政府管轄下にある、移動市場《シャンクル》だ。
 異世界から持ち込まれた《技術》をつかった《船》は、海ではなく陸地を泳ぐ。
 波を切る必要も無く、《シャンクル》はただひたすら巨大な車のような外観をしている。颯士の知る船とは、まったく違う作りだ。
 移動市場はひとつの街に一ヶ月滞在し、カーリオン領と言われる地域を順繰りに巡っている。
 前回の《シャンクル》訪問からは、二年。遠くからでも真新しく見えた壁面は、長旅の間にこびり付いた砂で、すっかりくすんでしまっていた。
「さすがに、ここまでくると人が多いな」
 足を止め、颯士は甲板に立ち並ぶテントを見上げた。朝ほどではないと思うが、それでも、うんざりするような人垣が見える。
「帰りますか?」
「ここまで来て、それもないだろ。行くよ。気分が悪くなったら帰る」
「では、参りましょうか」
 人混みにはぐれてしまわないようにか、伸ばされる緋一廊の手に一瞬戸惑うも、颯士は右手を重ねた。
 自分とは違う体温、鼓動の音を肌で感じながら、颯士は《シャンクル》のタラップへと足をかけた。
◇◆◇◆
「まったく、下賎な臭いだ」
 特等客室から出たとたん、叩きつけられる文句に、敷島祈(しきしま いのり)はうんざりと広い肩をすくめた。
 客室で脱いできた、協会指定の制服の重みからようやっと介抱されたばかりだというのに、胸中は重い。
 うつむいた拍子にずり落ちてきた眼鏡を持ち上げ、嘆息を零した。
(長旅で疲れているだけ、そういうことにしておこう)
 不平不満を相方に訴えたところで、聞きもしなければ、むしろ、怒りだして手が付けられなくなる。
 そうなってしまえば、おしまいだ。極秘の行動を言い渡されているのに、騒ぎを起こすのは非常に拙い。
「嫌なら、任務を私に全て任せて、部屋でのんびしていればいいでしょう。高級客室を自腹でわざわざ取ったんだ、使わないなんて損ですよ」
 相棒。ナテル・ルーナデラセーラは、十代の子供然とした華奢な体格を伸ばし、「それができれば、苦労はない」と背伸びした口調で生意気に言う。
「しかし、高級と言うからにはどんなものかと思って楽しみにしていたのだが、たいしたことが無くて残念だ。協会が所有している砂上船《リミオン》にある、ボクの私室のほうがまだ過ごしやすい!」
「あんな、無駄に豪勢な内装と一緒にされる方が可哀想ですよ。さ、仕事をする気があるのでしたら、足を動かす。まずは、《シャンクル》にて聞き込み。次にスラムに出ての、聞き込み。まずは、情報を探りましょう」
「この、雑多とした中を歩かなければならないのか。うんざりするな」
「なんなら、肩車をしてさしあげましょうか?」
「ごめん被る。子供扱いするなと何度言えば、分かるんだ」
「何を言いますか、子供でしょう。うかうかしていると、潰されちゃいますよ」
「上司に向かって、良い度胸だな、敷島」
 ちいさな鼻をつまみ、大股で歩くナテルのすぐ後ろに続き、祈は船上で開かれている市をぐるりと見回した。
 目が回りそうなほどのテントの数と人の熱気に、ナテルほどではないにしろ、うんざりとする。スラムに着くまでの旅路では静かだったから、なおさらそう感じるのだろう。
 スラム……正式名称は《カーリオン第十八仮避難区街》から一週間ほど東へ行った場所にある、《ストレンジア第三統制区ツィゴ》から来た祈は、タラップから見える街の景色に眼を細める。
 木々の侵蝕が激しいが、かつての都市の姿を連想させる光景に胸が締め付けられる。
 なつかしい、本当になつかしい景色だ。
「何をしている、敷島! サボったら減給だからな!」
「はいはい。分かってますよ」
 並んで歩くと、親子とも見て取られかねないナテルに頭を下げる。
「そんなに、懐かしいのか?」
「《ツィゴ》は、ストレンジアが主導権を握る街でしたからね。《向こう側》に飛ばされてから十五年、ようやく戻ってきたのはいいんですが……」
 甲板に出て、祈は日射しの強い空を指さした。
 青く、雲のない晴天の空には、うっすらと逆さまの都市の幻影が浮かんでいる。地球人が、ストレンジアと呼ぶ人々が住まう世界だ。
「浦島太郎の気分ですよ。私だけ、三十路も過ぎたおっさんなんて、不公平すぎるなぁ」
「家族を《こちら側》に残してきたのか?」
「家族はみんな、《帝都大転移》で天国へ旅立っています。残してきたのは、その大転移を一緒に生き残った幼馴染です。まあ、私もすっかりおじさんですからね。すれ違っても、向こうが分かってくれるかどうか」
 船内では全面禁煙となっているので、口寂しさを紛らわすあめ玉を口にほうりこむ。
作品名:ナイトヴァーミリオン 作家名:南河紅狼