ひらきこもりの方程式
そしてきっと、こんなシーンを見てしまっても、衝撃はもっと少なかっただろう。
「ずっと前から、好きだったの。…斉木君のことが」
放課後の教室。夕方の光を受けて赤く輝く少年と少女。少年がこちらを振り向いた。なんというタイミングだろう。なぜ僕は今、この扉をあけてしまったんだろう。僕はなぜここにいるんだろう。
逆光で影の落ちた中でも、少年の愕然とした表情が読み取れた。少年の背に隠れて、少女の姿は見えないが、それでもその声を僕が聞き間違うはずはない。彼女だ。どうしてだろう。僕は一瞬、ひどく冷静に考え込んだ。斉木君のことを好きなのは、彼女の友人ではなかったのか?あの肉感的な唇の娘の顔が脳裏をよぎる。だが次の瞬間、さっと血の気がひいた。考え事なんぞしている場合ではない!こんな場面で、この場所で!
僕は光の速さで身を翻した。可能な限り音をたてないように走れたのはたぶん奇跡のなせる技だ。彼女にだけはあの場に僕がいあわせたことを気づかれたくなかった。斉木君にだって気づかれたくなんかなかったのだが、ばっちり目があってしまった以上それは叶うまい。見開かれた斉木君の瞳を思い出す。彼は本当に驚いていた。女子から告白されることなど彼にとっては珍しいことでもあるまいに。
いや、分かっている。もちろん彼は僕にあの場を見られたことに驚いたのだ。
ーー 嗚呼、斉木君、斉木君。
優しい斉木君。誰にでもわけへだてのない斉木君。僕なんかのことを応援してくれると言ってくれた彼。僕の気持ちを羨ましいとまで言ってくれた彼。彼女と言葉を交わせるようになったのも、確かに斉木君のおかげで。
ーー 救ってくれるはずの手に、堕とされていくこの感覚!
本当は最初から嫌な予感がしていたのだと言ったら、言い過ぎだろうか。
だから天から突然垂らされた糸など、信用できないというのだ。
作品名:ひらきこもりの方程式 作家名:蜜虫