ひらきこもりの方程式
* * *
ーー 夢を見ているのだ。
夢を見ていたいのだ。
僕は斉木君に、僕のことを放っておいてくれるようにと、至極やんわり申し出た。自分がひどく気の小さい生き物に見えた。斉木君もそう感じただろうと思っていたのだが、彼は意外にも僕に謝罪した。
「ごめんね、俺、考えなしだった。ブンガっちゃん、大人しいから光田さんに近付きたくても近付けないのかと思ってたんだ」
斉木君と駅までの短い道のりを歩きながら、僕は彼の言葉を聞いた。
「だから、話せる位置まで近付けてあげようと思ったんだけど、ちょっと直接的すぎたねえ」
これからはもうちょっと考えて行動すると言う斉木君に、僕は首を振る。
「僕は、別に彼女とつきあいたいというわけではないんだよ」
「うん?まだそこまで好きでもないってこと?」
「好き、は好きなんだけれど」
僕は言葉に詰まる。彼女が自分の恋人になるという図が想像できないというのではなく、ただ意気地がなくて思いを伝えられないということだけではなく、僕は彼女と交際をそう激しくは望まないということを、どう伝えたらよいのだろう。
「よくわからない、俺は好きな子とは仲良くなりたいって思うから」
「斉木君は、今、誰かと付き合っていたんだっけ」
「ううん、今はひとり」
西の空が眩しかった。今日のこの放課後も、いつかひとつの思い出になるだろう。それほど親しく無いこの相手と、何の因果か肩を並べて歩いた記憶。
「うん、というより、俺はずっとひとりなんだ」
斉木君は言った。
「俺、付き合っても、あんまり長続きしないから」
「そうなのか」
「うん、俺、今まで本当に好きだと思った子って、いないかもしれない」
「ふうん」
「俺さー、ブンガっちゃんがちょっと羨ましい」
ぎょっとした。「なんで僕が」
斉木君はまっすぐ前を見て歩いていた。
「昨日電車の中で、光田さんのことさりげなくずっと見てただろう。あの時のそれが、すごく恋らしいって思ったんだ。なんていうか、余計な気持ちがないっていう風に見えた。なんていうのか、こう、相手の気をひこうとか」
「駆け引き、とか?」
「そう、打算とか、自分が相手の印象にどう残ろうかとか、そういうのがないみたいに見えたんだ。それで、いいなって」
ーー 夕暮れに沈む車内
オレンジ色に染まるひとりとひとり
少年は見る
列車は揺れる
がたん、
ごとん
僕の脳裏に、斉木君の見た僕と彼女の像がはっきりと結ばれる。
「そんないいものじゃないよ」
「そう?」
「そうだよ」
そんなふうにひとに言ってもらえるほどのものじゃない。それが僕には分かっていた。
この気持ちは誰かに羨まれるようなものではない。
作品名:ひらきこもりの方程式 作家名:蜜虫