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ひらきこもりの方程式

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  * * *



 日が暮れるころ、僕のこの恋はいつも永遠になる。正しく言えば、たとえば僕が年をとってからも永遠に思い出すだろうポエジイがそのとき生まれるのだ。夕暮れの電車。いつもの帰り道。茜色の夕日さす窓。そこに彼女がいる。

 それぞれ帰宅せんとするとき、彼女と僕は駅五つ分の道のりを同じくする。これは喜ばしい偶然だ。でも僕が彼女と同じ電車に乗って帰るためには、偶然に少しだけ作意を加える必要がある。つまり僕は帰宅部であるし、少女には放課後はクラブ活動に参加する予定があるのだ。従って僕は放課後は毎日図書室に詰めて、彼女の部活が終わるのを待っている。

 一日のうち何時間かを本の世界で過ごすことは、僕には全く苦ではない。僕は読書をするのにそれほど場所を選ぶほうではない。件のマニアは自分の部屋でないと落ち着いて本など読めないと言うが、僕は椅子さえあればそれで充分だ。毎日十八時少しまで図書室で読書をし、それからおもむろに下校をする。運がよければ、昇降口付近で彼女とその友人と鉢あわせる。運が悪ければ、渡り廊下の辺りで彼女の部活がまだ終わっていないことが耳に伝わってくる。彼女は合唱部の生徒だから、校内に歌が響いていれば活動中であると知れるのだ。でも彼女の声が混じっているだろう歌を聞きながらひとり学校を出るのも悪くない。その場合は駅のホームで彼女を再び待つ。結局放課後の待ち伏せは、どう転んでも僕に悪いようにはならない。

 今日は運が良かった。

 十八時ちょうどに図書室を出ると、空が一面真っ赤に染まっていた。晴れた六月の夕方は長い。昇降口で外靴を取り出していたとき、音楽室よりずっと近いところで二つの声が重なった歌が聞こえた。

 だーれーもーしーらーなーいーそのしーんーじーつー
  はぁあーああー あああーぁあー

 ハミングの方は彼女だった。

 歌いながら近付いてくる少女達に見咎められる前に、僕は急いで靴を履いた。僕の後ろ姿が彼女らの目に入ったとして、夕日の作る誰かのシルエットとしてしか映らないようにと祈った。僕が昇降口を出たそのとき、彼女達が下駄箱の前に立ち止まった。

 そして僕は今、人の少ない電車の片隅に座る彼女を見ている。茜色の光に照らされて、その横顔は殆ど影になっている。でも今盗み見ている彼女のその優しい輪郭、光に透けたほつれ髪の一本を、僕はたぶん永遠にする。昨日の彼女をそうしたように、明日の彼女をきっとそうするように。


 ーー ねえ君、もしも今この電車が道を外れてしまったらと考えてみよう
    例えばトンネルを抜けたとたん、そこが熱帯の密林だったなら
    例えば君のそのまばたきが終わった瞬間、窓の外が荒野になっていたら

    ねえそうしたら君、君は僕に頼るしかなくなるんじゃないのかい
 

 僕は考える。もしも本当に、この列車がどこかいつもと違う場所に僕達を連れていってしまったら。

 そうしたら彼女は、きっと不安にかられて悲鳴をあげるだろう。そうして僕に話し掛けるだろう。何故ってこの車両に彼女の見知った人間は、僕しかいないのだから。

 考えてふと周りを見ると、僕の隣に座っているのはずいぶんと体格がよい若い男だった。この男なら万が一未知の世界に入り込んでなんらかの危険に巻き込まれても、女性のひとりくらいは余裕で抱きかかえて逃げられそうだ。さらに反対側に首をまわすと、文庫本を手にした身なりの整った壮年の姿が見られた。予測不可能な出来事にぶつかっても、自分を失わず対処できそうに見える男だ。頼りがいがありそうだ。

 この面子はまずい、僕は思った。不思議な出来事に出会ったとして、この顔ぶれでは彼女が僕以外の人間を頼ってしまう可能性が非常に高いと言えるだろう。そもそも今この車両にいるのは彼女以外全員男ではないか。そんなのはよくない。やはりこの電車には、通常通り運行してもらわねばなるまい。

 妄想のなかでもリアリティを求めてしまう自分に僅か苦笑する。僕がなにをどう考えたところで、この列車は異界へ旅立ったりなどしないのだということなど百も承知ではある。しかしあまりに現実味のない空想はかえって気分を滅入らせるだけだ。でも、そんなことをうだうだ考えているより、愛の言葉のひとつも彼女に捧げたらいいだろうという者もいるだろう。そんなことだってもちろんわかっているのだ。それができれば苦労はないのだ。現実に彼女に恋を仕掛けることがまるでできないからこそ、夜に夢を見るように自然に空想をしてしまうのだ。現実の彼女が僕の恋人になるようなものなら、こんな風に目を開けて彼女の夢を見ることなどするものか。


 ーー 意気地が無いと笑うなら笑え、それでも僕は恋しているのだ!


 一体僕は誰に向かって話しているというのか。




 その答えは翌日分かった。

 「ブンガっちゃんってさーじつは光田のことすき?」

 斉木君が相変わらずにこにこしながら言ったその科白が、僕の顔から色を奪った。

 「俺昨日七井橋から電車乗ったんだ、そしたら隣の車両にブンガっちゃんがいるのに気づいてさー」

 声かけようかと思ったんだけど、ブンガっちゃんなにかじいっと見てるみたいだったから、なにかなって思って、見たら光田さんがいたから、ひょっとして。という彼の言葉は、まるで夢の中に響いているかのようにぼんやりと、遠くから聞こえて。

 「ラブアンドピース、ピース抜き!なー!」

 ああ僕が昨日車中にて、一生懸命自分の恋心を説明していた相手は、斉木君だったのだなと思った。


作品名:ひらきこもりの方程式 作家名:蜜虫