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ひらきこもりの方程式

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 「面白い?」
 マニアが太い首をねじるようにして斉木くんの顔を覗き込む。
 「俺達が?」

 僕も思わずまじまじと斉木くんの目を見た。彼は本当に楽しんでいるのだろうか。ほとんどの級友から気持ちが悪いとの(嗚呼思春期の学友達のその若さよ、残酷な判定者の唇よ)評を受けてしまう僕達のこのような無意味な会話を。一見したところ善良そうな笑顔に見えるが、今の科白は内心で僕らを馬鹿にして発せられたものではないだろうか。整った顔だちをしているからどんな表情をしていても良いように見えるだけではないのか?

 けれど僕達の間抜け面を映した斉木くんの瞳には、映るものを揶揄しているような様子は窺えなかった。

 「うん、おもしろい。おまえらって、喋りが上手いよな。漫才とか向いてるんじゃないの」

 漫才?

 僕は思わずマニアと顔を見合わせた。

 漫才、芸人、イクォール、テレビ出演。陳腐で短絡的な妄想が脳裏を駆ける。舞台の上に立って芸を披露し、満員の客を笑わせる自分達の姿。
 

 ーー スポツトライトを浴びたらば、今宵我等が魅せましょう!

 
 有り得ない話だ。

 「無理だよ。確かに素人の語りが本職の芸人より面白く聞こえることは稀にあるけれど、でも本当に人を笑わせる仕事についたらそんなまぐれあたりみたいな成功の仕方じゃやっていけないんだし。コンスタントにヒットを狙える人間じゃないとね」

 僕は眼鏡を少し押し上げながら言った。

 「そう向いてない向いてない、そんな、俺とこいつが並んで喋ってるのなんて誰が見たいと思うよ?」

 マニアも一瞬の白昼夢から醒めて、首を振った。

 斉木くんは尚も首をひねり、そうかな、おもしろいと思うのにと言っていた。けれど僕達が首を振りつづけたためか、ふと目があったらしい近くの女子生徒達の集団のひとつに向かって、唐突に、なあこいつらおもしろいよなと尋ねたので僕は仰天した。

 そこには彼女がいた。

 彼女は笑っていた。

 けれどそれは先程の嘲笑的な笑いではなく、少女達が親しい仲間だけで集まってこっそりとなにか楽しいことを始めるときに見せる(実際にそんな光景を垣間見た経験は僕には無い。想像上の表現だ)、秘めやかな微笑に変わっていた。交わす目配せにも、毒気がない。

 うん、おもしろいよねと少女達の一人が言い、彼女もそれに賛同した。笑っている。微笑んでいる。素晴らしいことだ。彼女の会話の中に僕のことが含まれている。しかも好意的な表現でだ。こんなことはここ数日、いや数カ月無かったに違いない。

 それでも僕には真っ向から彼女を見る勇気がなかった。だから目の焦点は彼女の隣にいる何の気もない女子生徒にあわせ、けれど意識は視界の隅にいる彼女に集中させた。

 ッていうか、と、彼女の隣にいる娘が口を開いた。僕が見ても、ひどく魅力的な笑みの形をした唇だった。

 「ッていうか、おもしろいよね、斉木が」
 「そうそう、斉木が面白いよね」
 「俺がかよ。べつに俺はおもしろくないよ」
 「そんなことないよね、充分おもしろいよね」

 ね、と隣の少女が水を向けたので、彼女は大きく頷いた。少し大きすぎるんじゃないかと思わせる動作だった。丸い左の肩が柔らかく身体の内側を向き、竦めた首をその上に乗せるように傾ける。

 すっと頭が冷えた。
 僕は彼女を見た。

 彼女は僕にはちらりとも目を向けなかった。斉木くんを見るか、そうでなければ周りの少女達となんらかの合図を送りあうかのように目をあわせている。それでなんとなく想像がついた。

 少女達は四人いて、そのなかで斉木くんに愛らしい自分をアピイルしたくない者は一人もいないようだった。無論彼女も例外ではなかった。それはもちろん他人から魅力的だと思われたくない人間はいないだろうけれど、目の前の少女達が見せるそれは、単なる級友に見せるものにしては少し大袈裟すぎた。そもそも少女達が交わす目配せや首を竦めるような仕草は、明らかに意味を含んでいると教えているかのように緩慢に、あからさまにやりとりされていた。女というのはこんなに無防備な生物ではない。感情の情報を無作為に垂れ流すような真似はしない。彼女達が何か共有すべき感情を発見したなら、それは瞬きよりもさらに短い時間でその集団の仲間全員に伝わるものなのだ。

 だから今少女達が見せるそぶりは全て、斉木くんになにかを気取らせようとしてのものなのだろう。おそらくあの四人のうちの誰かが、斉木くんに好意をもっているのだ。それを隠さないのは、好意が伝われば受け入れてもらえるという自信があってのことなのだろうか。

 誰かが斉木くんを好いているのだ。短い髪のあの女子か、唇の色っぽいあの娘か、猫のような目のあの少女か、彼女かの、いづれかが。

 だがしかし哀しいかな、想いというものは形なきものにて、目当ての人に伝わるとは限らないものだ。僕は斉木くんの横顔を盗み見た。全く変わったところは見受けられなかった。

 斉木くんがそういったことに鈍い方であるのは有名な話だ。しかし鈍くなるのも仕方がないのかもしれない。何故なら彼と言葉を交わす女子は全て、ほとんど例外なく愛想が他の男子に対するときの三割り増しになるからだ。底辺の僕やマニアとは比べるべくもない。

 けれど異性から相手にされない状況は、逆に彼女らを冷静に観察する能力を育んだ。僕はこのような異性の仕草や態度に潜む意味を、ほとんど完璧に読むことができる。読書をするのと同じくらい造作なく、登場人物の心情を推し量るようなやり方で、彼女達の顔に張り付いた文字を読みとれる。斉木くんに恋をしているのは、おそらく彼女ではなく彼女の隣にいる娘だ。一番積極的に斉木くんと言葉を交わしている。彼女と目をあわせることすらできない僕などから見れば、驚くべき胆力の持ち主だと言えよう。 

 そして僕には、今彼女達に向けて横から背後から突き出されている視線達の出所も辿ることができる。これは単に位置的な関係から実際に見えるというだけなのだけれども。斉木くんと言葉を交わす彼女らの一団を嫉視する目の瞬間的な煌めきは、研がれたばかりの出刃だ。後方にいるある女子生徒などは、盛大に顔を顰めてみせている。もうひとりが頷く。舌打ちせんばかりの険悪な表情だ。他にぼうっとした、なにを思っているのか不明な顔で少女達と斉木くんのやりとりを聞いている男子の姿も見える。これも僕が他の人間の意識野に含まれていないからこそできる人間観察だ。あまり自慢できたものではないし、見たくないものが見えてしまうことも多いが。


 ーー 少女よ、道化者の忠告をあなどることなかれ
    おまえの秘密は世界の常識!


 そう考え、僕は再び彼女を見つめる。
 本当に彼女にそう教えることができたなら、僕はどんなにか幸いだろう。でもこの臆病な僕の口では、僕の得た知識を彼女にそっと囁きかけてやることなどできはしないのだ。

作品名:ひらきこもりの方程式 作家名:蜜虫