モノガミものぽらいず
エピローグ 1
風が強まる中、俺はその場所を目指していた。
はぁ、
はぁ、
はぁ、
息を切らし、肺が痛い。心臓は悲鳴を上げっぱなしで、でも、それでも立ち止まる事ができない。
――あんたハクビちゃん、どない思とんねん? ――
脳裏を過ぎる、雀の問いかけ。
――ペットか? タダの同居人? それとも、可哀想やから置いてやっとる動物か? ――
「知らねぇよ! 分かんねぇよ!」
苦しい息の中から飛び出た叫びは、すぐに風の音に消されていく。
――ウソだ――
そう、思った。
知らないワケがない。
分からないハズがない。
自分の心にウソはつけない。
あの、揺籃の日々は確かに俺の中に在って、
無邪気に遊んだ刻と、
繋いだ手の温もりは、今でも確かに思い出せる。
ガキの時には気付かなかった想い。
いや、気付いてて、でも理解できなかった感情。
それは、今の俺なら理解できる。
始めは、俺が置かれた状況があまりに突飛過ぎて、理解する事すらできなかった。
あの日々に感じていたものを、思い出す事もできずにいた。
だが、
悔しいが、あのクソガキ――雀のヤツが居てくれて、良かったと思う。
もう少しで俺は、取り返しのつかない事をしてしまう所だった。
「……見えて……きた……」
荒い息の中で、自らを励ますように呟く。
ばっちゃんの手紙に書かれていたメッセージ。それは、死んだばっちゃんからの物じゃない。今も生き続ける、別な世界のばっちゃんからのメッセージだ。でもそれは別人ではなく、あくまで、この世界と近似の世界のばっちゃん。だから、書いてる事に差異はない。そういう雀の説明も、本当は半分も理解していない。でも、そういうものだと飲み込んだ。時間がない。そう思ったから。
そのばっちゃんが教えてくれた事。
――ハクビが悲しんでる時には、必ず訪れる場所がある――
俺の家の近所でその条件を満たすのは、そこしかなかった。
木々の生い茂る場所。まるで、ハクビとばっちゃんの郷の、あの里山みたいに。
いよいよ風が強まり、雨が降り始める。
大粒の雨は、瞬く間に木々の葉を伝い落ち、滝のような雨垂れとなって俺を濡らした。
「ハクビ! ハクビ! 出て来い!」
叫びながら、俺は公園内を走る。
そして――
少し開けた場所。そこのベンチの上に――
その、優美な白金色の姿は在った。
「クゥ〜ン……」
俺に気付き、首をもたげて、一声ハクビが切なそうに鳴く。
俺は、即座にサングラスの形をした、雀特製のアイテム『ヨミステールくん』を掛けた。
一度は夢うつつの最中に、
一度は露天風呂で、
だが、そのどちらもが、ただの一瞬、あるいはおぼろげ。しっかりと認識したワケではなかった。
しかし今度は違う。
顔立ちも、
髪色も、
かわいらしい、耳としっぽも、
着物の柄までも、
しっかりと手に取るように、そして二度と忘れないように、俺はその姿を認識する事ができた。
俺は『ヨミステールくん』を外し、その場に落とす。
「秋月……おら……おらさぁ……」
何かに怯えるように、ハクビが後ずさる。
俺の目は、しっかりとハクビを捉えている。人の姿として。
俺の耳は、怯えるハクビの呟きを、人の言葉として確かに受け止めていた。
「あっ!」
ハクビの短い悲鳴。俺は駆け出した。そして――
ベンチに足を引っ掛けて転びそうになったその身体を抱きしめた。
「秋月! おら、おらぁ……」
「分かってる。もういいから。大丈夫。ちゃんと見えてるから……」
俺の腕の中で、ハクビは胸に顔を埋めてくる。痛いくらいに、強く襟元を握り締めて。
「うぁっ……あ、ああああああぁぁぁぁぁ〜〜〜っ!」
風の音に消されても、その傍からハクビの泣き声が聞こえてくる。
雨が体温を奪いに来る。
でも、それでも俺は暖かかった。
ハクビが暖かいから。
何より、俺が本当に大切にしたいものが分かったから。
弁護士にはなる。その為に今まで頑張ってきたし、これからも頑張るつもりだ。
でも、どうして弁護士になるのか。その理由は別なものになった。
金や名誉、地位や権力。そんなものはどうだっていい。今の俺にはくだらない、ちっぽけなものに過ぎない。
法律知識という力を得て、俺はこれから護りたいものを護る。
ハクビだけじゃない。
ばっちゃんやハクビが暮らした郷や、不覚にも今回世話になっちまった雀だって。――まぁ、アイツが困るって事は、俺の手に余る事かもしれんが――
作品名:モノガミものぽらいず 作家名:山下しんか