紅茶をもう一杯と探偵は口にする
覗きこむと、写真に映し出されている金庫には、ちゃんと鍵がついていた。ダイヤルがついて更にはキーまでついているとは、すごい。
庶民である私は、ついそんな感想を持ってしまう。
「このキーは、弟が持っていたそうだ」
「弟っていうと、双子の?」
「この屋敷の手伝いの人に聞いたから確かだ」
不由径さんが厳つい顔を更に厳つくして大きく頷く。こんな強面で事情聴取したのだろうか。きっと、この顔に迫られたら、なんだってぺらぺらとしゃべってしまうだろう。私はその事情聴取を受けたお手伝いさんにいたく同情した。
「家族になるのだからといって信頼の意味をこめて、鍵の管理をしていた兄のほうが渡したのを手伝いが目撃している。それにダイヤルが本当に判らないかというと、そうでもないかもしれないんだ」
「どうして」
「この金庫のダイヤルは、双子の誕生日らしい。それを兄が教えなかったという保証はないしな」
でたらめな数字なら覚えないかもしれないけども、自分の誕生日だったら覚えているだろう。
「だから、どちらかかわからないと」
「そういうことだ」
「なんか身体に特徴とかは? 子供のころ怪我しているとか、ほくろとか」
「まったく、そういうのはないらしい」
それってお手上げですね。
などと軽口に言うことも出来ない。なんといっても、本当にお手上げで参っているのだから。被害者がわからないなんて、すごく困る。これだと、犯人を捜しようがない。けど、逆にいえば被害者がわかれば、犯人も自動的にわかるのではないのかと安直に私は考えてしまう。
「いーちゃん、さっきからだんまりだが、なにか気がついたことはないのか?」
不由径さんが声をあげる。
それまで黙っていた意知朗さんは目を三度、ぱくちりとさせる。
「えーと、じゃあ、いってもいい?」
「いえ。いえ。なんでもいえ。今だったら快くなんでも聞くぞ」
ずいっと不由径さんが身を乗り出していう。本当に溺れる者は藁でも掴むの典型的な図だ。
「紅茶が飲みたいな」
意知朗さんは、どうして、こういう性格なんだろう。
私と不由径さんは、思わずずるりと肩を落としてしまった。そんな私たちを見て意知朗さんは、にこにこと笑う。
「紅茶をもう一杯飲みたいなぁと」
思わず、私と不由径さんががくっと肩を落とす。
なんて平和なお言葉。
それも意知朗さんらしい、間の少し抜けたしゃべり方なため、ますます気が抜けてしまう。
「あー、飲め飲め。好きなだけ飲め」
不由径さんがソファにどっかりと深く腰掛けて言うのに、意知朗さんは、嬉しそうにいそいそとソファから立ち上がって、紅茶をおかわりする。
「いいんですか」
「あいつはああやって脳を活性化してるんだ。たぶん。それに紅茶を飲むと推理が冴えるしな」
確かに。
それは、長年のお付き合いでわかっていることだ。
飲めば飲むほどに推理が冴える。
なんだか、それってどこかの拳法家みたいな台詞だけども、意知朗さんの場合は、それが紅茶なのだ。飲めば飲むほどに機嫌よくなって、しゃべりだす。それも考える力も増すらしい。
この紅茶、本当に大丈夫なのかしら。
それとも、意知朗さんの体は紅茶を特殊に感じてしまうような体質をしているのか。
マイペースにソファに戻ってくると腰掛けて、ゆったりと紅茶を飲んで、にこにこと笑う意知朗さん。
これが殺人事件を聞いている態度なのか。推理をして、はやく犯人を暴いてほしい。そう思う私としては、ちょっと苛々するが、ここで下手に怒鳴ってはいけないというのは経験上、ちゃんとわかっている。なによりも、これが私の叔父であり、名探偵のスタイルなのだ。ホームズだって阿片しているし、煙草をすぱすぱやるじゃないか。煙草や阿片なんて体に悪いし、他人にだって迷惑をかける。けど、紅茶を飲むだけならば、他人に迷惑はかけたりしない。
「それでですねぇ」
ようやく紅茶を堪能した意知朗さんが口を開いた。
「お話をどうぞ」
まったく、もうっ。
私は、本当にどうしようもなくマイペースな叔父にため息をついた。
「私、その母親っていうの気になります。その弟のことを嫌ってたんですか?」
「ヒステリーだなぁ。女のヒステリーほどに始末に負えないものはないというが、あれは、本当に大変だぞ」
私は考えてみる。相手は双子なわけだ。同じ顔で、声で、体格で、その二人を相手に、片方は愛して、片方は毛嫌いする。その考えがいまいち理解できない。
もし自分が母親だったら、そもそも子供を引き取るという地点でいやだと思う。わざわざ子供を引き取って、大切に育てて、けど、その子にもう一人いたらいやがるだなんて。
「なんか、矛盾してませんか?」
「なにがだ」
「その、双子をどうして母親は嫌うんでしょう。片方は愛して、片方はいやだなんて……だって、いってしまったら、二人とも血は自分と繋がっていないのに」
「そりゃ、そういうものなんだよ」
不由径さんがため息混じりに言う。
「けど、双子ですよ」
「自分が育てたのと、そうではないっていう差が母親の中ではあるんだよ。双子っていっても、だいたい自分が育てた子と、そうでないのはわかるものさ。双子でも、仕草なんかは違うものだし」
意知朗さんが言うのに少し納得。
「それにね、それは、陽和子ちゃんはわからないっていうけど、それは陽和子ちゃんが、その人の立場になれるわけがないんだから、わからないと思うよ。陽和子ちゃんは、その人の気持ちがわかる?」
私は、黙って首を横に振った。
「その女性には、いろいろなことがあったんだと思うよ。ただ、育てた子が可愛いというのあるんじゃないかな。そして、同じ顔、姿をしていても、その子は愛人の子だっていう。だったら、どうしても受け入れられない」
意知朗さんの言葉に、私はなんとなくだが、その母親の気持ちというものがわかった、気がした。たぶん、私では絶対にわからないものもあるのだろうが。――ときどき、意知朗さんの言葉はナイフみたいに私を切り裂く。驚くぐらいにざっくりと、確信をついて言葉が出てこなくなる。そうなると、痛いと思う前に驚いて、何も言えずに黙り込むしかなくなる。なんだか自分のいやなところをたたきつけられているような、優しい声で、優しい口調でいわれるから、ますます、そんな気分になる。
私が想像できるのは、一つ。
母親としては、とても葛藤があったに違いないということ。
その上で子供を引き取って、育てる。
確かに、自分が育てた子はかわいい。けれど、愛人が育てた子がひょっこりと現れたら、それこそ、たまったものではないだろう。
可愛さあまって、なんとやらとはよくいうものだ。
きっと母親も辛かったに違いない。
私だったら、こんな状況は耐えられない。
考えれば考えるほどに胸が苦しくなった。
「だから、育てた子供になんとしても財産をやりたいと母親は思うわけだ。自分の育てた子にだけ財産やらなんやらと残したい。けど、同じ顔でも愛人が育てた子にはなにもあげたくない。それも一つの母親の愛情といってもいいかもしれません」
そこで意知朗さんが言葉を切った。
「ふーちゃん、死体が見つかったときの写真を見せてくれる」
「ほら」
作品名:紅茶をもう一杯と探偵は口にする 作家名:旋律