紅茶をもう一杯と探偵は口にする
「私のベッドよ。あ、けど、その日は違うわ。居間に置いたの。居間の隅っこ。ママはそういうところに萌を置かないでっていうの。雑巾でふく邪魔になるから。けど、慌ててたの。幼稚園バスきてて、だから、その日は急いで出たのよ」
「そうなんですか」
意知朗さんが神妙な面持ちで頷いた。
「これでわかる」
「ええ。だいたいのことは。では明日、またきてください」
「いいわよ。ちゃんとしてよね」
女の子――ゆうかは、満足して出ていってしまった。
なんというか、今時の子は小生意気だなぁとし言えない。それに叔父さん、そんな依頼を引き受けてどうするのよ。
私は、怒りたいような、情けないような、なんとも言えない気持ちになった。
子供に足で使われるなんて。
「あの子、またきますよ。絶対に」
「はい。依頼人に来ていただかないと困りますから」
「たぶん、ないと思いますけど、人形」
私は言うと叔父は笑った。
「それはわかりませんよ。とりあえず紅茶を」
またか。
そう思ってため息をつくと、ドアが開く音がした。まさか、またあの女の子かと思ってふりかえった。
「よぉ」
「あ、不由径さん」
私は、ぺこりと頭を下げる。
真四角な厳つい顔に白いワイシャツにネクタイ。がっしりとした体格は、なんでも柔道と剣道を嗜んでいるらしい。一見するととっても怖いが、実は甘いものが大好きだという性格のギャップがある意知朗さんの幼馴染の刑事さんだ。
荻田不由径。
この名前を見た人は十人がみんなして「ふゆかい」と読む名前である。ちゃんとしたよみかたは「ふゆみち」。ちなみにこれは、径不由という教えがあるそうで、近道せず真っ直ぐに歩くという意味がこめられているそうだ。それは不由径さんご本人から伺った。この名前の説明することが毎回なので、慣れているそうだ。いい名前だが、ちょっと大変だと想う。
警視庁の一課の名刑事さん、らしい。名刑事というのは、ご本人がいっているので、私としてはその真意を確かめることが出来ない。けれども、事件を解決したことは多々ある。まぁ、その解決した本当の人は……ここはあえて言うまい。
そんなわけで、私としては、不由径さんが持ってきただろう箱が気になる。なんだろう。シュークリームかな、クッキーかなぁ。不由径さんは、グルメな甘党。甘いものならなんでもいいというわけではなく、リサーチによって最高級のお菓子屋を何軒も知っている。またご本人も甘党が高じてお菓子作りはプロ並。
買ってきたものもいいけども、不由径さんのお菓子も食べたい。
「陽和子ちゃん、これ」
「はーい。お茶の準備します」
思わず声がオクターブあがる。
差し出された小さな箱を、私は両手で受け取る。
いそいそともって下がって中を確認。嬉しいことにシュークリームだった。それも箱にはなにも書いてないので、不由径さんが作ったらしい。
「あ、俺、コーヒーがいい」
と、背中から不由径さんの声。
叔父は大の紅茶大好き人間だが、それとは反対に不由径さんは大のコーヒー大好き人間だ。まるで水と油のような趣味の合わないタイプに見える。見た目には熊とうさぎ。――もちろん、叔父がうさぎである。飲み物の好みにしろ。得意なことだって、スポーツマンタイプと知識系。だが、しかし、違う相手ほどに気が合うというらしく、叔父と不由径さんの仲はすごく良好だ。不由径さんがいつ来てもいいようにと叔父は、コーヒーをいつもストックしている。ちなみにインスタントは邪道だというので、豆からひいたものだ。
私は、コーヒーとシュークリームを持っていく。
お客様用のソファに腰掛けた不由径さん。その向かい側に意知朗さん。
「いーちゃん、実はな」
「はい。ふーちゃんのお菓子、大好きです」
叔父さんが不由径さんを見ると、自然とそういってしまうのは、もう長年の条件反射になっている。
「陽和子ちゃんも、座って、みんなで食べましょう」
「はい」
私も腰掛けて、シュークリームに手を伸ばす。
叔父さんと私、二人そろって不由径さんのお菓子の大ファンだ。食べるときはなにも言わず、紅茶を嗜みつつ、甘いものに酔いしれる。これが食べ物に対する礼儀だろう。
「あのな、いーちゃん」
私たちが幸せに対して、作った不由径さんの顔はすごく暗い。とっても落ち込んでいるし、疲れているともいえる。
いつもならば、美味しく食べている私たちに豪快に笑いかけてくれる人なのに。
「はい?」
「参ってるんだ」
「なにかあったんですか」
「なにかどころじゃない。見つからないんだ」
頭を抱えてため息をつく不由径さん。
「とりあえず、コーヒー飲んで、甘いものでも食べて落ち着いて、ふーちゃん」
「ああ」
いそいそと不由径さんがコーヒーを飲んで、シュークリームを食べる。やっぱり、俺の作る菓子はうまいと自画自賛しつつも、なんとも覇気がない。
「いーちゃん」
「はい」
「お前の知恵を、また貸してほしい」
「また、ですか。いいんでしょうか。一応、刑事さんには事件に対して守秘義務が」
「いーちゃん!」
がたんと不由径さんが立ち上がる。まさか冬眠から目覚めた熊のようだ。もし、不由径さんが本気になったら、ひょろりとしたうさぎのような叔父では潰されてしまう。私は命を賭けても叔父を守らなくてはいけないという気持ちになるが、何も出来ない。
うさぎが熊の手で揺さぶられるのをただ見ているしかできない。
「俺を見捨てるのか、今までやってきたくせに。それも、菓子までもってきたんだぞ。いますぐ吐け。返せ、俺のシュークリーム」
そんな、無茶な。
「あ、あわわ。ふーちゃん、落ち着いて。誰もしないとは、うん。しないとはいってない」
「よし」
くまが、ようやく落ち着いた。
解放された叔父は、ほっとため息。
「陽和子ちゃん、ごめん。事務所をしめて、くれる?」
「はーい」
私、いそいそとドアを閉めにいく。本日は営業終了しましたの札を出して、しっかりとドアに鍵をかける。とはいえ、まぁお客様なんてほとんどこないんだけども、気持ちとしてはね。
「で、今回の事件は、なにが困っているの?」
叔父が優しく不由径さんに声をかけた。
不由径さんが名刑事の理由。それは、その、実は叔父が知恵を貸しているところが大きい。何度か困り果てて不由径さんが愚痴みたいに零した事件のことに、叔父がアドバイスをして解決したということがあり、不由径さんは叔父を頼るようになった。事件解決のお礼として御菓子をいただけるという。
叔父としては御菓子をいただいて、不由径さんの役に立てる。なによりも悲しい人を一人でもいなくなることが嬉しいという。元々、この儲かることのない探偵事務所は、叔父のお父さんのものなんだけども、親子二代そろって「悲しい人が少しでも減ればいい」という気持ちから経営しているのだ。だから売り上げとかあんまり考えていない。それで自分たちが生活苦しいと意味がないでしょうといいたいが、実際に口をすっぱくしていうのだが、その損な性分はかわらない。
「お前らも知っていると思うが、双子のだ」
「あれ、不由径さんが担当なんですか」
作品名:紅茶をもう一杯と探偵は口にする 作家名:旋律