掌の小説
教師
1年2組の教室は中学生たちの幼く直接的な声でざわめいていた。普段なら机は前向きで、36個、6行6列で並んでいるのだが、今日は机が6個ずつ班をつくって向かい合い、教室には6つの塊ができていた。班ごとに学園祭の出し物を決める話し合いをしているのだった。声の波がある場所で高まったかと思うと、しばらくその場所は沈黙し、今度は別の場所で高まったりした。いくつもの高まりが重なったり途切れたりをずっと繰り返していた。
窓の外には銀杏の大木が黄緑の葉を茂らせていた。樹下にはとりどりの草が生えていたが、花の季節ではなかった。だが雑草とは違った洗練された造形と整備された生え具合で、花をつける草であることをひそやかに示していた。初秋の日差しはなおも強く、教室に斜に入り込んで窓際の机の表面を熱していた。室内の天井には蛍光灯が弱く光っていた。
中学生の発言力には気の強さが如実に表れる。基本的にスポーツのできる生徒は気が強かったが、例外もあった。勉強のできる生徒は意外とおとなしいのが多かった。嫉妬から身をかわすために謙遜する処世術を身につけているのだった。
彼は一人サイコロ遊びをしていて、話し合いには加わらなかった。彼は勉強ができたが、嫉妬から身をかわすというよりは、生来の自閉的傾向から発言をしなかった。彼は自分の話す言葉に自信が持てなかった。つまり、自分の言葉はすべて自分の心を表現できていないように感じていた。言葉を発すれば発するほど、何か自分とは別人の言葉が増えていくようで、自然と彼はどもるようになった。そして、どもることのぎこちなさが恥ずかしくて、一層彼は無口になっていった。そして無口になって自然と友人が減っていくことによって、彼は友人の輪に加われないことにひがみを抱くようになった。
サイコロを振る。めまぐるしく転がって5の目が出る。5の目が彼の一番のお気に入りだ。点の多さと点の配置。6だと点が多すぎる。5だと中心にも点があって、点の配置がとても対称的だ。彼はクラスの人気者、常に話題の中心にあって、行動や話題の提示においてクラスの目を引きクラスの雰囲気を率先する生徒、そういう生徒に対してひそかな憎しみを抱いていた。机の端の方に行ってしまったサイコロを拾い上げ、また転がす。1の目が出た。彼は、これだけ近くにいながら同じ班の生徒の発言をすべて遮断して、サイコロを転がしその目を確かめるという行為の連続の中に自分のすべてを閉じ込めようとした。彼は世界をはっきりと二つに区切った。他の生徒たちが意見を交換し合い、微妙な力関係に従って意思を形成していく世界と、自分がサイコロを転がす世界。この二つは決して交わってはいけなかった。
担任の女教師は、一つ一つの班をめぐりながら、話し合いから逸脱してふざけ合いを始めた生徒をたしなめたり、生徒の提示した案に対して情報を与えたり助言をしたり、発言できずにいる生徒の発言を促したりしていた。ある班はDHAについて調べて発表するという案を出していた。それについて、図書館から本を借りてきなさいとか、最近テレビでよく放送されているからそれをよく見なさいとか、そんな助言をしたりした。ある班では意見の対立から生徒の間でこじれが生じ、ある生徒が泣き出しそうになっていたので、泣かせた生徒をたしなめたりしていた。
女教師は彼の班にもやってきた。彼は相変わらずサイコロを転がしていた。教師が来たことには気づいていて、少し苦い緊張に手を強張らせていたが、それに負けてはいけないと思った。「一馬君、話し合いに加わりなさい。」彼は無視した。教師はまだ何か言いたそうで、発話の衝動に体をみなぎらせたが、それをぐっとこらえたようだった。だが、教師は、彼の抱える問題を解決すべき課題として認知した。班の一人が言った。「先生、キノコを集めるにはどこに行ったらいいですか?」教師に甘えたい気持ちと教師を理由もなく尊重する気持ちの入り混じった無垢な声だった。「愛宕山辺りが近いんじゃない?」教師は答えながらも彼を凝視していた。彼は視線を感じながら自分の屈折した世界に甘えた。彼は自分の屈折を克服するなど思いもよらなかった。彼にとって自分が屈折したのは不可抗力だった。教師は重いわだかまりを抱えたまま、暗い表情で次の班へと向かった。
次の日、生徒たちは音楽室に集まり、学園祭の合唱コンクールの練習をした。女教師はとにかく声を出すように生徒に指示した。声を出していない生徒を見つけるといちいち注意をした。生徒たちはその指示に盲目に従った。滅多に口を利かないおとなしい女子生徒も、弱い者いじめをしたりする不良の男子生徒も、合唱の練習の際はなぜか皆本気になって大声で歌うのだった。合唱コンクールは、一人一人の生徒の個性などというちっぽけなものを捨象するほど大きな流れを持っていたのだ。そこではすべての生徒が一つの流れに沿って、その流れに乗ることに恍惚を感じながら、自分が生きていることを証明するのだった。祭というものは、いつでも個人を超えた大きな流れで、それに巻き込む者たちをただ純粋に肯定する。その肯定による恍惚感に生徒たちは浸っていた。
だが彼だけはその流れに批判的だった。彼は練習中ろくに声も出さず、おまけに大きな欠伸までした。女教師はその欠伸を鋭く見とがめた。「一馬、欠伸してんじゃねえ。」教師は軽く彼をいさめた。だが、練習の流れの途中だったので、練習を中断することはなく、計画通り練習は進んだ。
練習が終わった後、彼は教師に呼び止められた。音楽室にいるのは女教師と彼だけになった。いきなりびんたが飛んだ。彼はあっけにとられた。「自分だけ勉強ができればいいなんて思ってんじゃねえぞ。ケツの穴の小さい人間になるんじゃねえ。」教師は声を荒げて言った。彼はただその勢いに違和感しか感じなかった。「はい。」と形だけは答えた。教師の言っていることは自分の問題とは無関係だと本能的に分かっていた。「さっきの欠伸はなんだ。本当にやる気はあんのか。」「あります。」「本当だな。」「はい。」「もっと周りの人間に協力しろ。」「はい。」そこで教師は一息ついた。だが逆に彼の方は教師の怒りが的外れに思えてならなかった。
彼は教室に戻り、自分の席に戻った。涙があふれて来た。彼は肩を震わせてボロボロ泣いた。悲しかったのでもない。苦しかったのでもない。女教師の怒りによって打ちひしがれ緊張した彼の心がほどけていく過程で、涙は必然的にもたらされるのだった。彼に好意を寄せていた女子生徒は彼を気遣った。「かわいそうに。」という声が聞こえた。彼は泣くことが恥ずかしかったが、泉のように湧いてくる涙をどうすることもできなかった。