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掌の小説

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 或る日、僕が会社から帰ってくると、電柱に取り付けられた傘つきの街灯によって、ぽつりぽつりと明かりが射していて、ブロック塀の内側から家々の灯がまぶしく滲んでいる東京都世田谷区の住宅街の街路が、いきなりテレビの液晶画面の画像になってしまいました。画像になった僕は、同じく画像になった路面から動けなくなり、慌てて大声で叫びました。すると、テレビから妙な叫び声が聞こえてきて気味の悪くなった佐藤さんは、テレビの電源を切ってしまい、僕はこの世界から消えてしまいました。でも、そのとき僕は自分の名前が佐藤だということに気がついたのです。テレビを消したのは僕自身で、僕は見たこともない、それでも凡庸な一部屋の中で、のんびり紅茶を飲んでいたのです。僕は思いました。さっきまで自分は後藤だった、それゆえに今自分は佐藤なのだ、と。黒くなった液晶画面に少しだけ恐怖を感じながら。あらゆる後藤さんは、後藤さんであるがゆえに、佐藤さんになる。何も矛盾はないのだ、と。
 僕は白黒のチェックのクッションに座りながら、目の前のテーブルを眺めました。テーブルには一つだけ腕時計が置かれていました。金属のバンドの部分がだらしなく膨れ上がった腕時計です。この腕時計の文字盤を見ると、表面の樹脂の向こうで12人の人が会議をしていました。みんな同じ服装で同じ体格同じ顔をしていましたが、僕には誰が1で誰が2で、と12人すべてを判別することができました。委員長である6が言いました。
「それでは、時計文字盤改善委員会の2010年度定期報告会を始める。」
茶色いテーブルが「コ」の字に並べられていて、中心に委員長、そして、左翼と右翼に、順番とはばらばらに1から5、7から12までが座っていました。8は自分の折りたたみ式のいすが下に向かってやや斜めになっていることを気にして、文字盤の端の方に重ねられている椅子から新しそうなものを取ってきて、椅子を交換していました。
「まずは理性の象徴である9君からご報告願おうか。」
すると、9は立ち上がり、机に「ハ」の字に手をついて、傲岸にまくしたてるように話し始めました。
「いいえ、私は9でありますが、同時に9でもないともあるとも言えないでしょう。煎じつめれば、角度の問題です。もう少し言えば、速度の問題です。そもそも何を助けたらよいのか分からないし、何を殺したらよいのかもわからないのです。報告、とおっしゃりますが、報告とは報告であって告報ではないとどうして言えましょうか。私は9的な告報をするべきではないと思いますが、同時に3的にぶら下がってもいいのではないかとも思います。」
「よく分かった。9君の掌握する人間の理性の領域は十分改善されたようだね。そもそも言葉になっていたからね。前は音楽だったから。音楽を言葉にまで引き下げることこそが人間の理性の改善なのだということは、前回満場一致で可決した内容だ。では、次は感情の象徴である4君にご報告願おう。」
すると、初めから落ち着きのない態度をして、脚を組みかえたり、指をでたらめに動かしたりしていた1が叫びました。
「少し! 少しだけ待ってください! まずは僕に言わせてください。そのための1でしょう。」
すると、さっきからずっとうつむいたままだった12が冷淡に、残酷な感情をこめて口を挟みました。
「1君は、前回の報告会で0を兼ねることを宣言したはずですよね。私と1君は0の座を巡って争ったはずです。12時のことを多くの人間は0時とも呼ぶ。だから私は0の座を主張した。ところが、8対4の議決で、1君に0の座が与えられた。その理由は、私があまりにも数が多く、トランプだったら絵札にすらなってしまうということだった。1君は0だから、存在しないんですよ。だったら先頭になることもできない。」
それを咀嚼した上で、委員長の6はおもむろに、考えながら話し始めました。
「1君は0でもある。0は無で1は存在。つまり、1君は存在と無という二重性を併せ持っている。存在は絶えず無によって先立たれ、無は絶えず存在によって先立たれている。何かがあるということは、それがあるための無を必要とするし、一方で意識する作用がなければ意識と対象の間隙である無もあり得ないことになる。よって、1君は、0でも1でもあるとともに、0でも1でもないのだ。だから存在も非在もしない。よってこの世界からはもはや放逐されているわけだ。」
1は怒りのあまり声を震わせて、大声で怒鳴りたてました。
「ふざけるな! 今俺はこうしてここにいるじゃないか! くだらない詭弁はやめろ!」
1は席を立って委員長のところに走りかけましたが、隣にいた7に制止されました。
 そのとき、玄関のチャイムが鳴りました。チャイムというよりは、よくコンビニに入店したときに聞くあのメロディでした。僕は時計の報告会の顛末をもっと知りたかったのですが、それよりも慌ててしまい、立ちあがると、ドアの方へ向かおうとしました。知らない部屋のはずなのに、なぜかどこにドアがあるのか分かっていました。ドアは右手にあったのですが、右手を見ると、トイレットペーパーに赤から黄色から青から紫から、とにかくあらゆる色が塗られたものが、透明なゴミ袋にいっぱい入っていて、そのゴミ袋が10くらいあり、大きく室内を埋めていました。その異様なはずの光景も、僕には当たり前なのでした。そのゴミ袋の間を縫ってドアまで行き、ドアを開けると、見知らぬ50歳くらいの女性が立っていました。いや、そうではなく、その女性は液晶画面の映像だったのです。ドアの向こうは巨大な液晶画面でした。その片隅、僕の目の前に、女性が映っていたのです。女性は言いました。
「英明、久しぶりだねえ。」
どうやら女性は僕のお母さんのようです。でも僕のお母さんはもっと背が高くて痩せていました。顔つきももっとすっきりしていたはずです。そして、僕の名前は信弘でした。すると、僕の考えを反映したように、液晶画面に「信弘」というテロップが表示され、それを踏みつけた女性は、何事もなかったかのように、言いました。
「信弘、ひさしぶりだねえ。」
「あ、お母さん、よく来たね。まあ上がってよ。」
その女性が僕のお母さんかどうかはどうでもよくなりました。それよりも僕は急に人が恋しくなっていて、とにかく誰かと一緒にいたかったのです。それに、この人が僕の本当のお母さんかもしれないのだし。女性は液晶画面から抜け出すと、本当に僕のお母さんになっていました。あの体型、あの服装、あの髪形、あの顔つき。僕はかえってがっかりしたと同時に、少し甘えたい気持ちになりました。
 お母さんが僕の部屋に入ってくると、ゴミ袋の山を見て、早速言いました。
「こんなに散らかしちゃって。少しは掃除しなさいよ。」
「分かってるよ。」
お母さんは夕飯のおかずをスーパーから買って来たらしく、それをテーブルの上にどさっと置きました。
「ご飯はあるよね。」
「冷凍にしてある。二人分はあるよ。」
「じゃあこのコロッケと、あとねぎの味噌汁を作るから。」
作品名:掌の小説 作家名:Beamte