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掌の小説

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 俺がこの不定職についてからずっとお前は一緒に生きてるんだな。彼は、何の感慨もなくそう考えた。ただの事実の問題だ。俺が大学を出てバイトを始めたその秋にお前はやってきた。それからずっと俺の不定職の時期にお前が生きているのだ。犬はただそこにいただけだ。彼を癒すことも見守ることもなかった。猫が来ては吠えたり、消防車のサイレンに合わせて遠吠えしたり、それだけであって、彼の生きることとは何の関係もない。彼はたまに、犬とじゃれることはあった。犬は後ろ脚で立って彼の脚に前足でしがみつく。しゃがむとキスをされることもある。彼は犬の尻尾をつかむ。すると犬はそこから逃れようと体をひねる。だが犬に対して愛情を抱いたりすることは全くなかった。彼にとって、犬は面白いおもちゃだった。道具のようにしか思えなかった。彼は人間に対しても愛情が薄かった。だから動物に対して愛情を注げるわけがない。かといって、犬が死んでしまえばいいとも思わなかった。当然嫌悪や憎しみすら抱かなかったのだ。
 だが、犬に老いを感じて、それが自分の老いに重ねられたとき、彼は、犬と何か通じるものを感じ始めた。共に生きるもの、とでも言おうか。自分の人生の何か重要な部分、それを犬が共有しているのではないか。犬は彼の聖域に入り込もうとしていた。彼がずっと守っていた孤独の聖域に。だが、彼はそれが許容できた。なぜなら犬だから。人間のように意見したり口出ししたりせず、ただ動いて吠えてるだけの物質だから。
 あるとき、犬が本気になって吠えていた。間欠的に、何度も。ああ、猫を見かけたんだなあ、そう思って彼は部屋着のままサンダルをはいて犬のところへ行った。白地に黒の斑点のある猫が、注意深く家の前を横切ろうとしていた。彼は犬を見た。犬は自分の生存をかけて真っすぐに耳を立て、猫を凝視していた。老いているのに。お前も俺も。精一杯なんだな。彼はそう思い、顔じゅうがほてってきてゆるい感傷がやってくるのに気づいた。

作品名:掌の小説 作家名:Beamte