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荒野を往く咎人

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 無限の荒野で歩みを進める男が一人。
 頭のてっぺんからつま先まで、汚れていないところはないというみすぼらしい格好がまず目に付く。その身に纏うのはもはや衣の体をなしておらず、元の色形を想像するのも難しい襤褸切れ。寒さから身を守ることも、様相を飾ることも、服としてすべての機能を満たしていないソレは唯一、男の汚らしさを際立たせる事にのみ役立っていた。
そんな襤褸切れではあったが、男はそのことを気にする様子もない。身にまとう物の汚れを気にしても仕方ないほどに、男自身が汚れにまみれていたからだ。袖の付いた大き 目の貫頭衣からのぞく手足の一部と首周り、そして頭、それらで垢に穢れていないところはない。
 どれだけの時間手入れをしてないのだろうか、爪や髪や髭は無秩序に伸び、不気味な醜悪さを放って、見るものに生理的な嫌悪感を抱かせる。
 垢によるくすんだ色と、もう一つ。凝固して肌にこびりつき鈍く変色した血による黒。それが男の色だった。
 靴に守られず、手や顔以上に汚れた足を引きずるようにして歩くその男、名をトマスと言った。しかし彼以外の存在が認められないこの荒野で、名前の意味はさしてない。トマスの名を呼ぶ者はなく、トマス自身の一人称によっても使われることのないその名はいまや形骸化し、彼の記憶の底に沈殿している。
 トマスの歩く荒野にはなにもなかった。あるのは、異様な圧迫感を醸しながら低く広がるどんよりとした灰色の空と、植栽も岩もなく、生命の息吹を一切感じる事のない赤茶けた大地のただ二つ。その二つがどこまでもどこまでも、無限に続く空間を独り歩き続ける男。見るものに地獄の沙汰を連想させる、異様な光景が意味する事はいったい何なのか。
 その答えを知る男は黙々と歩を進めている。
 前髪に隠れた瞳に虚ろな光を宿したトマスは、裸のままの足の裏が大地に削られ血だらけなことも、滴る汗が服を濡らし異臭を放っていることも気に留めることはない。漠とした荒野にはなにか目的地になりそうなものは見当たらず、そもそもトマスはうなだれた顔をあげようとはしていなかった。
 その様からはどこかを目指しているようには見えない。にも関わらず一心不乱なトマスの足取りに迷いはない。薄汚れた身なりを気にすることなく、前を見ず歩くトマスの姿に狂気のようなものを感じるのも当然の事だった。
作品名:荒野を往く咎人 作家名:武倉悠樹