秘密は秘密のままに
アパートの呉羽の部屋は、夜になっても明かりはつかない。広い構内では専攻違いもあって顔を合わすことがなかった。何度か学生食堂で見かけ同席もしたが、他の友人を介しての会話しか弾まない。何かがあの夜を境に変わってしまったことは、顕著にわかった。以来、二十年余り、そのスタンスが続いている。
最寄駅は会社を挟んで反対の方向にあったので、二人は行きの道を戻った。正面玄関の喫煙場所の辺りに差し掛かると、呉羽は急に立ち止まった。
「呉羽?」
「遅くなりついでだ、一本吸っていこう」
口元に指をあてて喫煙の仕草を示した。上川の答えを聞きもしないで歩き出す。
閉館時間を過ぎると、スタンド型の灰皿は片付けられる。昼間は喫煙場所らしい体裁が整えられるが、夜はただの『玄関脇』のスペースでしかなかった。前庭の常夜灯や玄関ホールの非常灯が完全な暗闇にしないまでも、充分に暗い。そんなところで男二人が立ち話をする姿は、かなり怪しいに違いなかったが、呉羽は気にせず煙草に火を点けた。
上川は呉羽の火をもらう。一連の動作は沈黙の中で行われた。煙草を吸い終わるまで、会話がないままになりかねないと上川は感じた。その居心地の悪さを嫌って、話題を作る。
「この社屋、呉羽の設計だろう? 喫煙スペースは考えなかったのか? 外でしか吸えないなんて、冬は寒いじゃないか」
「考えたさ。それなりに確保もした。だから結構、無駄な空間が多いだろ? あれはほとんど、喫煙用に取ったスペースなんだぜ。例えばあそこ」
呉羽はガラス越しに玄関ホールの上の方を指差した。十階分の吹き抜けの中央を渡す廊下が、表示灯や非常灯の光にぼうっと浮かび上がっている。あの渡り廊下の真ん中に、バルコニーのように左右に突き出た休憩スペースがあったことを上川は思い出した。見晴らしのいいところでの仕事の合間の一服は、さぞかし気持ち良いだろう――実現していたとしてだが。
「喫煙ブースなんて、隔離されるみたいで嫌だし、端から作る気はなかった。まさか全館禁煙にするとは思わないさ」
「呉羽ともあろう者が、読みが甘かったな?」
「ほっとけ」
二人は互いを見合って笑った。今日、初めて出た自然な笑みだった。間の空気も和んで、上川は学生の頃の懐かしい雰囲気が戻った気がした。
一本目が吸い終わり、どちらからとなく二本目に火を点ける。