秘密は秘密のままに
「携帯(電話)は? 時計代わりになるだろ?」
「カバンの中に入れっぱなし。あんなもの持ち歩いていたら、四六時中、追い回されるじゃないか」
「じゃあ仕事中、おまえと連絡取りたい時は、みんなどうしてるんだ?」
「側にいる誰かのところにかかってくる。一応、行き先だけはハッキリさせるようにしているからな」
「相変わらずだな?」
「相変わらずさ」
会社から二ブロック先の角を曲がると、店先に赤い提灯を吊るした小料理屋が目に入った。
「結構、イケるぜ」
と言って、呉羽は先んじて暖簾をくぐった。
「上川のところって、子供いたっけ?」
小ざっぱりした店内の一番奥の座敷に席を取る。飲み物以外は適当に料理が運ばれてきた。呉羽がその店の常連だと言うことが、店員とのやり取りでわかった。
「小一の息子がいる」
呉羽が「おや?」と言う表情を浮かべる。自分たちの年齢からみて、上川の子供は少し幼く感じたのかも知れない。
「まだ小さいんだな。かまってやる時間、ないんじゃないのか?」
「まあな。休みの日は、だから大変さ。こっちは一週間の疲れを取りたいんだけど。いったい誰が子供を週休二日にしたのか、文句を言ってやりたいよ。呉羽のところは?」
「いない。出来る前に別れた」
ああ、だからか…と上川は納得した。この料理屋で夕食を済ませて帰ることが多いのだろう。素朴な家庭料理と、さして高級ではない酒類。毎日食べても飽きない感じの品書きだった。
学生の頃なら、知らないことは二人の間にはなかったが、今は知らないことばかりだ。二十年の月日は長く、それらを知るにはこのひと時では足りない。奇妙な緊張感。人見知りを隠して合コンの席にいる時のそれに似ている。会話は自然、途切れがちとなり、間を埋めるためには結局、仕事の話に頼らざるを得なかった。
過ごした時間の思い出は何年経っても鮮やかで、上川の脳裏を去来する。きっと呉羽もそうに違いないはずだったが、一つの記憶が思い出話をすることを躊躇わせた。
二人には秘密があった。
大学の四年に上がる春休み――就職活動と卒業論文・製作のため、上川と呉羽は帰省せずに下宿先のアパートに留まっていた。
「呉羽、飯、買ってきたけど、どうする?」
「んー、もうちょい、キリのいいとこまでやっちまう」
「じゃあ、その間に味噌汁、作るよ」