死神に鎮魂歌を
やはり止まない緊張と恐怖からどうにか震えようとする声を抑えるために単語単語を区切って変な言い方になってしまったが、母親はそれでも問われた意味の方に意識が向いたらしく辺りを見回したが、最後に志織の持つ大鎌に目が留まってそこから顔が動かない。
「お母さん、死んじゃって……私は、お母さんを迎えに来た死神なんだよ……」
「志織が、死神……? どういう事なの……?」
「それは」
「それは私からお話しましょう。私は志織さんの指導役をしておりますレノイ・C・ロムウェルと申します。最期の旅路のほんの短い時間ですが、どうぞよろしくお願いします」
いつの間にかレノイはフードを被っていて、説明に詰まった志織の代わりにスラスラと説明を始める。
それを見ながら、今更ながら今回だけは自分もフードがついている普通の死神装束にしてもらえばよかったかなと志織は思う。そうしたら志織からは今日迎えに行く相手が母親だと分かっても、母親からはひょっとしたら迎えに来た死神が志織だと分からないかもしれなかったから。
そんな事を考えていながら二人が話をしているのを見ると突然
「だったら私もなるわ!」
母親の空気を切り裂くような鋭い声が聞こえてきた。
「人間が死神になれるというのなら私もなるわ! なってこの子と一緒にいるわ!」
「それは無理なんですよ」
「どうして! 志織がなるなら私だって……!」
「無理なんだよ……。お母さん」
少し後ろから眺めるだけだった志織が二人の間に入ってそう言う。今までの二人の会話を聞いていなかったわけではなかったからレノイが何を言って、何を言ってないのかは志織にも分かっていた。
「死神として生きるのと人間として生きるのは全然違うんだよ。私たちは最初から人間の魂を迎えに行くために存在してる存在で、将来の夢とかそういうモノなんて一切存在してなくて、人間でいた時にやろうとしてた事はほとんど全部出来なくて、それに私がこうしてお母さんを迎えに来たようにお母さんが死神になったらお父さんや弟を迎えに行かなくちゃならない時がくるかもしれないんだよ」
それに。と続けようとした言葉はしかし志織の判断で頭だけに留めておいた。
それにお母さんと私には根本的に違う部分がある。私はやっぱり短い生で死んだのが嫌で、ただ私という存在を消したくなくて死神になる事を選んだけど、お母さんは存在を留めたいだけじゃないよね?
とは、短い生を目の当たりにした目の前の母親には酷すぎると思って言葉を飲み込む。
「それにね、お母さんは天国逝きだから今まで頑張ってきた分、そこで魂をお休みしてきた方がいいよ。魂になってからも頑張るなんて私が嫌。私が死神になったのは今まで何にも出来なかったから。だから死神になる資格があったけど、お母さんにはないんだよ」
その代わりに嘘を織り交ぜて、精一杯の笑顔をして母へとその手を差し出す。
娘の言葉が効いたのか、それとも『死神になる資格がない』という志織の嘘を信じたのかしばらく考えるように沈黙していたが、沈んだ表情で頷いて志織の手を取る。
おそらくは信号無視の車に潰されてあまり見られるような状態ではない母親の身体は、車の中にあって幸いにも志織の目に触れず、変形した車から突き出したような形になった母親の手を引くと魂は抜け出して母親の半透明の全身とそこから伸びる紐が現れる。
その紐は志織の記憶にある自身のより何倍も太く、それが母親のこの世界への未練を物語っていた。
おそらくは死神として志織が、自分が現れた事の方に意識が向いてしまって未練の方には今はまだ意識が向かないのだろう。最初の老婆の時こそ無かったが、まだ死にたくないと泣き喚く人たちを何人も相手にしてきた志織は、母親が未練を思い出す前に身体と魂と繋ぐ糸を切ろうとする。
自分が何をやろうとするかはレノイが既に言ってある。けれどこの目の前を漂う糸を切ったら、母親の人生全てが流れ込んできて、自分が心の底ではどう思われていたか完璧に分かってしまう。それを思うと唾を嚥下する音がとても大きく耳について、全身が硬直したように動かない。
柄を持って固まってしまった志織の肩に置かれたのはレノイの手。その手が硬直を解いて思わず後ろを見ると、今はフードをしていて見えないが顔を思い出す。志織が、いや志織の両親のその両親ですら影も形もなかった時に、志織と同じように家族の魂を迎えに行った人の顔を。
それを思い出すとさっき階段のところで言われた言葉も思い出し、志織はもう一度唾を飲み込むと大鎌を振り上げた。そして
「お母さん、ちょっと痛いかもしれないけど……ゴメンね」
そう言って一閃、志織は大鎌の刃で母親の魂と身体の繋がりを断ち切る。
瞬間流れ込んでくる、自分を産んでくれた人の一生。志織が生まれていなかった昔から今までの全てが全て。目の奥が焼けそうな情報の奔流の中で志織は。
あぁ、私は――。
それから先は思考の言葉にすらならなかった。いつものようにあまりにも多すぎる情報に生理的に吐きそうになり、レノイはそれを母親に見せまいと志織をどこかに放り投げようとした、が。
志織は一回それを空気を呑んで耐えるとレノイの手をすり抜けて、更にこの世界との繋がりが希薄になった母親に手を伸ばした。
「お、母さん! 私は、ここで頑張っていくから! 大変な事、色々あるかもしれないけど私はこっちの世界で『生きて』いくから! だから、この手を取って!」
吐き気は止まない。頭は情報の奔流で今にもショートしそう。身体は今にも崩れ落ちて横たわってしまいたい。
けれど志織はそれら全部を必死に耐えて、そして叫んで笑顔で宙へと浮く母親に手を伸ばす。
顔色の悪さに気が付いたのだろうか。けれど母親の記憶の中で今まで見た事のない生きている類の笑顔をして一生懸命手を伸ばしている娘に、頼りない存在となってしまった母親は手を伸ばした。
暖かくも冷たくもない不思議な感触のそれが触れられて、志織は悲しさからではない涙が出そうになった。