死神に鎮魂歌を
エピローグ
物理的に言えば、ここは居住区と業務区のちょうど境目らしい。
前にレノイに教えてもらった居住区の最上階の更に上、ひたすらに広いドーナツ型の空間とその穴に植物が浮遊している空間に志織はいた。
風も吹かないこの場所で、まだ落ちるのが怖い志織は穴には近付かず穴からちょっと離れて植物を眺めていた。
「こんなトコロにいたのか」
志織がじっとしていると時間が進んでいるのかも疑わしくなってくるこの場所に、その停止を破って志織の背後から声をかけられる。
声だけでもう何となく分かるから、その声をかけた人物が自分に近付いてくるの足音を聞きながら志織は後ろを振り向かず隣に来てくれるのを待った。
けれどその人物、レノイは隣ではなくやはり怖くないのか穴との境目に腰掛けて、結果志織の方がレノイの背中を見る形になってしまった。
「双子がお前の事探してたぞ。やっぱり昨日のお前は明らかにおかしかったって。俺が何かしたんじゃないかって喰ってかかられた」
「あ、ゴメン……」
「別に。あの双子に何かと文句付けられるのは慣れてるしな。とにかく何か非難する理由が欲しいんだよ、あの二人は。魂の欠落もそうだけど、まだ何か色々許せない事があるんだろ」
本当に何とも思ってない台詞に逆に志織の方が胸が締め付けられる。
「それで、いいの? 二人に誤解されっ放しでいいの?」
「だから別にって言ってるだろ。それに誤解じゃない部分だって多少なりともあるしな。で、空也やサリア、椿さんに訊いても場所を知らないって言うから何となくここだと思った」
レノイの言葉の前半だけに何かまだ納得いかないものを抱えて、うっかり聞き流しそうになって志織は一瞬引っ掛かるモノを感じて、一回レノイが言った言葉を頭の中で繰り返してみた。
「……それって探しに来てくれたって事?」
「……昨日の今日だからな。お前母親の魂を死神長に引き渡した後、ブッ倒れただろ。まだ慣れてもいないのに無理するからだ」
「あ、うん、ちょっとビックリした。お母さんを理人さんに預けた後、急に記憶が途切れたかと思ったらベッドでもう昼間近くなってたんだもん。割りと意識がなくなるのには生きてる時から慣れてたんだけど、あんな急に来たのはなかったからなぁ」
自分を呆れるように笑った志織に対して、レノイも同じく呆れのため息を吐いただけ。
「で、どうだったんだ? 結局のトコロは」
「? 何が?」
「昨日賭けした事も忘れてるのか。結局はお前の母親がお前を疎んじてたかどうかだよ」
「アレはレノイが一方的に……」
「昨日の時点でそう言わなかったお前が悪い。で、どうだったんだ? まぁ昨日の態度で何となくは分かるがな」
意地悪く笑ってそう尋ねてくるレノイに頬を膨らませて何か言ってやりたかったが、結局は言いたい言葉が見付からず言葉の代わりに抗議のようなため息をしただけ。
「……確かに、私がいたせいで疲れたって思った時もあったみたい、正直。けど、けどね……」
志織は昨日味わった情報の奔流の中で、志織が生まれてきてからの事を思い出す。そうする事で自然と唇が優しく綻ぶのを志織は自覚する事なく、見ていたのはレノイだけ。
「やっぱり嬉しかったって。短命を宣告されていたから逆に私が誕生日を迎えた時とか、一時的に退院した時学校行った時とか、弟が生まれた時にお姉さんぶってた時とか、そういう何気ない時にすごく幸せを感じてたみたい。日常が日常じゃなくて、すごく大切なモノなんだって私の存在で気付いて、やっぱり生まれてきてくれて嬉しかったって」
「そら見たことか」
「うん。私ってさ、最初にレノイに『自分の存在理由が欲しいから死神になる』って言ったけど、アレって違うよね。人って生まれたらそれだけで何かしら人に影響与えて、それが存在理由になるのかもしれないね。前に理人さんが言ったように私がいたからお父さんが倒れるほど仕事頑張ったようにさ」
その事を思い出して今度の志織の笑顔には少し苦いモノが混じった笑顔になる。けれどあえてその事には言及しないで、全く別の話題のために口を開く。
「じゃあ、やめるのか?」
「何を?」
「死神を。そうやって自分の存在理由に対してそんな風に納得したんなら、お前はもうここにいたい理由なんてなくなるだろう。人として生まれて人として死んでくのが本当は正しくて、それがそのままお前が望んだ自分の存在理由なんだから」
その言葉に一抹の寂しさを感じたような気がしたのは、志織の気のせいだろうか。
「やめないよ」
もしレノイが寂しさを感じていたら、レノイ自身は自覚していなくても感じていたのなら、それを断ち切るようにきっぱりと志織は宣言した。
「だって私は人として生まれて、死神になったんだもん。今言ったけど生まれたらそれだけで存在理由になるけど、生き続けるともっと私は私として生まれた理由が増えると思うから。私は今死神として『生きて』いて、それを放棄するなんて出来ないよ。だからやめない。私はここで一生懸命『生きて』いくよ」
「そうか」
寂しさが消えて安堵を今度は志織は感じた。
それが自分の気のせいだけでなければいいと思って心の中で微笑んでいたが、次のレノイの言葉で志織は固まる。
「そういえば賭けは俺の勝ちだよな。俺が負けた時は『何でもしていい』って言ったけど、……さぁて、俺が勝ったら何をしてもらおうかな?」
「え……?」
頭では言葉を理解するのを拒絶しているのに、身体は何故かお尻を浮かしかけて逃げる準備を始めている。こっちを向いたレノイの笑顔は悪戯を思いついた子供のように無邪気で、どこか裏がある満面の笑顔。
「やっぱりここは公平に『何でもしていい』だよな?」
その笑顔のまま言い放ったレノイの言葉に、志織は全力で駆け出した。