死神に鎮魂歌を
「けどそれとこれとは話が違うんだ! あの時に妹が死ぬのはもうどうしようもない変えられない事で、俺が行かなくたって別の誰かが行く。だったらせめて俺が迎えに行ってやろうと思ったんだ。たった一人の家族である俺が」
「……出来ない……。出来ないよ……私には、そんな事……」
再びズルズルとドアを背にして力が抜けたように志織は蹲った。まだその頬には次々と涙が伝わったまま。
「家族を自分が迎えに行かなくていいのか? 今言ったように、お前が行かなくたって別の誰かが行くだけになるんだ」
「……怖い、怖いよ。私は、怖いよ……」
「怖い? 何が?」
「だって、私、いっぱいお母さんにも、お父さんにも弟にも迷惑かけて……そんな人の人生を見るのなんて怖くて出来ない……」
床に涙の雫が溜まっていくのを見ながら、あぁそうだと志織は自分で納得する。
自分は怖いのだ。家族を迎えに、この手で魂を回収するという事より母親の人生の十六年に確かに自分は関わってて、あの人の真意はどうだったのだろうかと確かめるのが。本当は疎まれてはいなかっただろうか、うっとおしいと思っていなかっただろうか。それがあの一瞬で見えるから、その疑問が一瞬で解決してしまうからそれが怖かった。
「迷惑だなんて、それだけを思ってなかったかもしれないだろ」
「そんなの……っ、どうしてレノイに分かるの……っ!」
「分かるわけないだろ。ただ俺が妹を煩わしく思ってたり憎んでたりしてたのと同時に、愛してたり確かに支えられた部分があったりしたのと同じく、妹も罪悪感を持ってたのと同じくらい俺を兄として慕ってくれた。だから罪悪感を抱いてたんだろうが、家族っていうのはそんな一つの感情で片付けられるモノじゃないと俺は思うけどな」
「でも……っ」
レノイの言う事は頭ではどうにか理解しても、感情やそんな理性とは別方向の部分が違う。私は迷惑な存在にしかならなかったと騒ぎたてる。
その頭にそっと手を置いたのは、この部屋にいつもう一人にしてこの部屋の住人。
「だったら確かめてみるか? 実際にそうとしか思われてなかったら、俺に八つ当たりするなり殴るなり蹴るなり何なりしていいから」
「何それ……」
「賭けだ、賭け。俺はそう思うから、それにこれを逃したら確かめる機会なんて早々には無くなると思うけど。そう思ってるのがお前だけなのか、それとも真実なのか」
「っ……」
レノイの言葉で志織は、まだ叫び続ける感情に言い聞かせるように何回も何回も同じ言葉を頭の中で自分に言い聞かせる。
レノイが言うように違うかもしれないじゃない。違うとしたら私は知る機会を捨ててしまうかもしれないじゃない。今を逃したらもう二度とないのかもしれないじゃない。
それでもまだなお叫ぶ感情は収まらず、家族から疎まれていたのを目の当たりにする恐怖から身体は震え納得したわけでもない。それでも
「じゃあ……もしそうだったら、しばらく私の言う事何でも聞いてくれる?」
「もちろん。今回は勝つ気がするからな」
今日の九時間後に行こうと思ったのは、どこかでレノイの言葉を信じたかった志織がいたから。疎まれていたわけではないという言葉を信じてみたかったから。
「でだ。さっさと着替えてきたらどうだ? 頭もグシャグシャで泣いたからいつもより何割か増しでヒドい事になってるぞ」
言われて初めて自分がどういう格好になってるのか気が付いたが、その次にはレノイの暴言とも取れる言葉の内容に気が付いて、ようやく涙が止まり始めた目で思いきり睨みつけた。
それにレノイは喉の奥で笑って、それから「さっさとしろ」と言われて部屋から放り出されてしまった。
外には志織を呼びには来たがそれ以外の元人間の死神の部屋に入る勇気はなかったのか、決して短くない時間レノイの部屋に入ってこようとしなかった双子の姿は見えず、寝起きの姿のままあまり長い時間様々な死神が行き交う廊下にいたくなかったから、早々に部屋に引っ込む。
もう朝の柔らかな光を発光しているカーテンを開けるのが、志織のここでの毎日で一番最初にする事。
誰もいない静寂の自室の中で、カーテンを今日も思いきり開く。
志織にとってはそれが、今日の短くも長い一日の始まりになった。
朝目覚めてから九時間、自分は何をやったのだろうと志織は思い出そうとすればするほど、その記憶は不思議と遠く昔の出来事のように霞んでよく思い出せなかった。
ただやたらとずっと緊張していて、瑞希と瑞穂はもちろん、サリアや空也。それに志織は知らないが噂で志織を知っていると前にレノイが言っていた死神たちだろうか。その中の特に世話焼きな死神の何人かが、志織の顔色の悪さを心配して声をかけてきたのは覚えている。自分がそれに何と答えたのかを志織は覚えていないけれど。
いつの間にか志織は自分の部屋にいてそして時間は午後四時を回っていて、それを時計で確認した志織は緊張で既に身体がぐったりしているのを感じた。
ベッドに身体を横たえて、時計の秒針が刻む静かな音だけを聞く。各自、死神の部屋に鍵はあるが誰も滅多に使ってなく志織自身もそうしていた鍵を今日だけはかけている。
今日はもう誰にも会いたくなくて。
合鍵を持っているのは指導役のレノイと死神長である理人くらい。だから時間になったらレノイが部屋のドアを開けて、自分を迎えに来るだろう。ちらりと視線だけをドアに移しながらこのまま時間が止まってあのドアが開く瞬間が来なければいいと志織は思う。
けれど時間は無情に、秒針が進む音はやまずにしばらくするとドアの鍵を開ける音が志織の鼓膜を震わせた。
「何鍵なんかかけてんだ」
そうして不満そうな声でドアを多少乱暴に開いたのはレノイ。
けれどベッドの上。志織のお気に入りのゴスロリ服が、精神構成体で出来ているから皺にならないといっても、今この時だけは乱れるのも構わずに志織が横になっているのを見てレノイは眉をひそめる。
「おい、行くって決めたんだろ」
「うん……」
答える志織の返事はか細い。腕を掴まれて無理やり上体を起こされても、その扱いに何も言う気も起きなかった。
「行く前から疲れてどうするんだ」
「……ねぇ、レノイ。やっぱり今からでも別の人に代えてもらうっていうのは……」
「無理だな」
「え……?」
「変更の願い出はその迎えに行く魂の亡くなる時間六時間前までに理由も添えて届け出しなきゃならないんだ。時間見てみろ。もう三十分もないだろうが」
「そういうのは、早くに言ってよ……」
「言う必要がないと思ったからな。言ったら逃げる可能性が高くなるとも思ったし」
今『別の人に代えてもらう』と言ってしまった志織にはレノイのその言葉に反論する術がない。図星を指されて言葉に詰まっていると更に身体を持ち上がられて、ベッドから床に落とされる。
「やっぱり少し早く迎えに来て正解だな。いつも通りの時間だったら間に合わなかったかもしれなかったから。ほら、立て」
また腕を掴まれて今度は立たされる。服はさっきまでベッドに横たわっていたとは感じられないほどきちんと整っていて、いつでも外に出る格好になっていた。それが今の志織には更に気を重くさせる。