死神に鎮魂歌を
「レノイが私を迎えに来てくれて、色んな事を教えてくれて、その中に人間も死神になれるっていう事を教えてくれて、だから私はこうして今ここにいるんだよ。教えてくれなかったら。私を迎えに来た死神がレノイじゃなかったら私は、無理やり押さえ込んだ願いをずっと抱いたまま天国に逝ってたかもしれない。だから私はレノイがどんな思いがあれあんな接し方になってくれて本当に嬉しい。本当にありがとう」
言っている内にその言葉が嘘偽りなく自分の中にあったもので、目の前の志織の言葉を不思議そうなモノでも見てるかのような表情で聞いているレノイに感謝の笑顔をした。自然に出てきた、志織が出来る一番綺麗で、暖かい何もかも許すような笑顔で。
瞬間、割りと近い距離にあった二人の距離がゼロになる。すっぽりと志織はレノイの腕の中に収まっていた。あぁ私今抱きすくめられているんだと、どこか冷静に状況を判断した志織がいた。
「ありがとう、志織。……リィーズ」
その後、耳元の志織にもギリギリ聞こえるか聞こえないか程の声量で呟かれたのは知らない名前。多分それはレノイの妹の名前。
もう慣れた、暖かくもないけれど冷たくもない精神体の不思議な体温に包まれながら、こんな時自分は何を言ったらいいんだろうと志織はふとそんな事を思った。
レノイやもう魂の回収に慣れた普通の死神はどうやら違うらしいが、まだまだ初心者の志織は朝に一回、目覚めると部屋に最初からあった机の上に今日回収しに行く魂のリストが置かれている。
目覚めた志織は今日はいつも机の上に乗ってある黒いファイルがあるのを、ベッドの上から確認した。
昨日は長老の葬式で、志織の分は近くの別地区の死神が代わりにやってくれたと空也が言っていた。その他にレノイの告白と、それからずっと今までのすれ違いを取り戻すかのように話し込んで時間が経ってしまった。
そういえば抱きしめられたあの後、『レノイが謝るだけじゃなくてお礼まで言うなんて絶対明日は雨が降る』と言ったら『何なら今から血の雨降らせてもいいぞ』と冗談で、あのひたすら高いあの場所から落とされそうになったのを思い出して、思い出し笑みを零しながら志織はそのファイルを手に取る。
その途端、笑みは表情から消える。
志織も半人前ながら死神だ。レノイと仲違いを起こしていたとはいえその間にも魂の回収はあって、それが志織に人は誰も色んな方法はあれど一生懸命生きていて死は神聖なモノであると十分に分かったから。何かを思い出して笑いながら手に取るファイルではないと学んだから。
このファイルの中には志織には今まで関係のない人だけれどそんな人がいて、そうして最期の旅路にだけはお供する人の情報が書かれてある。
――そう、志織の今までに関係していない人が。
今日机の上に乗ったファイルを手に取って、そのファイルを開くまでは志織はそう思っていた。
「えっと……高槻美幸、享年四十二さ、い……え?」
今まで志織が担当したのはほとんどが老人だった。享年四十二歳というのは志織が今まで魂の回収に行った中で一番若い。
けれど志織が反応したのはそんなところではなかった。
このファイルに載っている顔写真は。このファイルに書いてある情報は。このファイルにある全てが全部。
「……お母、さん」
志織の母親を示していた。
高槻美幸。享年四十二歳。死因、交通事故死。本日午後五時三十二分死亡。天国逝き。
瑞穂と瑞希に連れられて行った店のような場所で手に入れた時計を見ると、今は午前七時十九分。
あと九時間後には、おそらく志織が生前一番苦労をかけた人が亡くなる。何も返せずに。それどころか自分が迎えに行く側となって。
呆然とした頭に何か軽い物が落ちる音と僅かに足の痛みを感じた。けれどそれが志織の手からファイルが零れた音と、それが足に当たった痛みである事なんてことを今の志織には知覚する事が出来なかった。
「「志織ー。もう起きてる? 一緒にご飯食べに行こ……、どうしたの、志織! 顔真っ青だよ!」」
ノックは一応したが、やはり少々遠慮というモノが欠如している双子がノックしてすぐに部屋に顔を覗かせて志織の顔を見て慌てる。両方から心配がありありと見て取れる顔が覗き込む。
「「ねぇやっぱりレノイに何かされたんでしょ! ねぇ、志織! 我慢しないで言ってもいいんだよ!」」
双子は全く同じ高さの声でそう叫ぶが、志織の麻痺しかけた耳は一つの単語しか拾い上げなかった。
『レノイ』
志織の指導役で昨日、自分の妹を迎えに行った過去があると知ったばかりの、不器用で自虐的で優しい死神。
二人はまさか志織がいきなり走り出すとは思わなかったのか止める間もなく志織は隣の部屋へと駆け出した。
「「志織!? 何でそっちに行っちゃうの!」」
レノイの部屋に入って後ろ手にドアを閉めようとした瞬間、そんな双子の声が聞こえてきた。けれど今の志織にはレノイを含めた元人間の死神が全員誤解されてるままの悲しさも、それを解こうとする気も起きなかった。
「……何、そんな格好のまま部屋に入ってきてるんだ?」
既に起きていてこれから行くのかそれとももう行ってきたのか、死神装束のフードを下ろした状態でいたレノイの呆れたような声が。その声だけがゆっくりと染み渡るように志織の中に響いてきて、いつの間にか志織はドアを背にしたまま床にへたり込んで涙を流していた。
「本当、どうしたんだ? あぁ、もう泣くなよ。一体何があった?」
指や手で涙を拭われて最後は昨日されたみたいに抱きしめられて。昨日、レノイが言ったようにまるでそれは仲のいい兄妹の兄が妹にそうするようで、その優しさの中でようやく志織は口を開けた。
「……レ、レノイ……。お、お母さ、んが……。お母さんが、このままだと、死んじゃう……っ!」
「母さん?」
「今日、来た、ファイルが……お、お母さんので……わた、私が迎えに行かなきゃいけないって……!」
そこまで言ってそれがもう限界で、後はただレノイの腕の中でしゃくり上げて泣くだけになってしまったが、途切れ途切れの言葉でも志織の言いたい事を察したらしいレノイは、抱きしめる腕はそのままそっと頭を撫でた。
「行きたくないのか?」
「あた、り前じゃん! だってお母さんが死んじゃう……っ! 私が、死んだばっかりなのに……お父さんと、弟が、二人だけにな、っちゃう……っ!」
「違うだろ。俺たちが殺しに行くんじゃない。お前の母さんが今日亡くなるのは、もう決まった事でお前は、自分の母親の魂がきちんと逝くべき場所へ逝けるようにする事だろ?」
冷静なレノイの言葉に、逆に志織の頭に血が上った。抱きしめて宥めていてくれている腕を振り払って立ち上がっては自然的に目下になったレノイを睨みつける。涙が零れ続ける瞳で。
「何でそんなに冷静なの!? じゃあレノイはリィーズさんの時もそうだったの!?」
「違う! 俺だって出来る事ならあいつを死なせたくなかった!」
今まで見た事のないすさまじい剣幕のレノイのその態度で、今の言葉がどれ程真実だったのかを物語る。