死神に鎮魂歌を
返事をした次の瞬間に言われた椿の言葉を、一瞬志織は言語として理解できなかった。
「…………え?」
そして理解した時、身体の力がスゥッと抜けていく気がした。出た言葉はそのせいか、言葉ではなく単なる音に近かった。
そういえばと、この時志織は気付いた。椿に感じていた違和感が、いつも見るスーツ姿ではなく、もっと真っ黒い服――喪服のような服を着ているから。
「この音は、この支部にいる死神が亡くなったという事を知らせる音です。今日の三時ごろ……」
「……え。だって、話してました、よ? 昨日、調子、いいからって、私の話聞いてくれて。調子、よかったって笑ってて、精神体はゆっくり老いて死んでいくんだって、言って。何で、今日、いきなり、そんな事に……」
突然の訃報にショックした志織は、途切れ途切れに昨日の会話を思い出しながら否定しようとした。
そんな志織の様子を痛ましげに眉を寄せながら見ながら、椿はその両手に持っていた物を志織に差し出す。
「コレは……?」
「この世界にもお葬式という式が存在します。その時用の服を用意してきました」
そうしてまだ呆然としていながらも、差し出された物を受け取る姿勢を反射的に取ってしまった志織の両手にそっと渡す。
「すみません。私には他にも色々とやらなければいけない事がありますのでこれで。場所を案内できなくて申し訳ありません。場所がどこかはおそらく他の死神でしたら知ってると思いますので、教えてもらって下さい。では、また」
深々と頭を下げると、椿は志織の目の前でドアを閉めて、そして志織は部屋に一人取り残された。
『志織は全く別だけどまた志織として生きる事を許されたのだから、それを自分から絶っちゃいけないよ。今は辛くても志織には先を生きる事が、生きなきゃいけない事がまた与えられたんだから』
最後に話したとき、長老に言われた言葉が頭の中で甦る。
鳴り響くのは弔いの音か。まだその音が鳴り響き続ける自分の部屋でまだ呆然としたまま、もそもそと服を着替え始めた。
本当はまだ色々と話したい事が、訊きたい事があったのに。長老の持つどこまでも穏やかな雰囲気だったらそれが許されると思ったのに。ぼんやりと頭の中でそんな事を志織は着替えながら考える。
そういえば最初に会った時には、瑞希と瑞穂から『元人間の死神にも公平に接している』と言われていた。あの時の志織には全く意味が分からなかったし受け流してしまったけれど、自分以外の元人間の死神が全員生前は犯罪者だったとしたなら、その言葉も何となく出てきて当たり前なような気がした。
どうしてそう出来るのかも、訊いてみたかった。
いつもよりだいぶ装飾が抑えられた本当の喪服へと着替え終わった時に、そう思った。
一応、服を手でなぞってみて乱れた部分が無いか確認する。着替えるのもこの作業も、どこか志織の意識の薄皮一枚外にいる別の誰かが自分の身体を動かしてやっているみたいでまるで現実感がない。
ぽっかりと自分の中に空洞が出来てしまったよう。
その薄皮一枚を破る術が分からずに、機械的に確認し終わった志織は機械的に部屋のドアを開けた。
鐘が鳴り始めてからしばらく時間が経っていたからか、喪服を届けにきた椿の向こう側に見えた時より人が少なくなっていたが、まだ慌てた様子の死神たちが何人か同じ方向に駆けていく。
あの人たちについていけばいいのかな、とぼんやり思った時、志織の隣のそのさらに隣の部屋のドアが勢いよく開かれた。
「あ、志織ちゃん!」
それは志織個人の部屋が出来る前にレノイの、サリアとは反対側の隣の部屋の住人で、今もレノイの隣の住人が同じように慌てた顔で志織と顔を合わせた。
「空也さん……」
志織は元隣の住人の名前を呟いた。
空也は、普段は死神の衣装を着る事を好まないらしく、会った時はいつも私服を着ていたから黒い印象はなかったが、流石に今日は黒い男性用の喪服を着ている。
「どうした? まだこんなトコロにいて。あ、オレは寝起き弱いからさ、この音でもなかなか目が覚めなくてさ」
「あの、場所が分からなくて……」
「あー、そっか。志織ちゃんは初めてだもんな。じゃあオレと一緒に行こうか。ったく、レノイも志織ちゃんの指導役なんだからこうゆう時だってちゃんと案内してやりゃいいのに」
レノイとの不仲は他の死神たちには伝わっていないようで、人のいる気配がしないレノイの部屋のドアを見ながら海斗が呆れたようにため息をついた。
けれどすぐに志織に視線を戻すと、最初見た時と変わらず人の好む笑顔をして志織に顔を少しだけ近付けてきた。
「でも大丈夫だから。ちゃーんとお兄さんが案内してやるからな。それじゃあ行こうか」
少しゆっくりめのペースで空也は前を歩く。それが空也の魂の色なのか、晴天の時の青空の時のような薄めの青色の髪が揺れる。それを見ながら志織は後について行く。
「それにしてもいきなりで驚いただろ。死神が亡くなった時は真夜中でもいつでも構いなくこの音で起こされるから。あ、そうだ。志織ちゃん、今日行く魂の回収のリストは渡された?」
後ろを振り向いてまで尋ねてくれたので、志織は少し急いで空也の隣に並ぶと一回頷いた。休み明けの今日は確か、女性の魂を迎えに行くはずだったと記憶している。
「それ、今日は無し。同じ支部のトコロで死者が出たら、日本で言う『喪に服す』ってわけじゃないけど、一日はお休みになってその人の事を悼むんだ。志織ちゃんは来たばっかりだから、今日亡くなった『長老』って呼ばれてていた人の事は知らないかもしれないけど……」
「知ってます」
「え?」
「知ってます。……話したのは二回だけだけど、色んな話をしてくれました」
きっぱりした声に一瞬、空也が虚を突かれた顔をしたが、志織の口調の中に響く哀しみに気付いて慰める笑顔をして頭を撫でた。
「そっか。オレも色んな話聞いてもらったよ」
そして少しの間、志織がそうしているように空也も長老の事を思い出しているのか、互いの間に沈黙が生まれる。
「でも休んでる間にも迎えに行かなきゃいけない魂はあるだろ? その魂は日本支部に近い、そうだな韓国支部とか中国東支部とか、ちょっと遠いとロシアの極東支部とかモンゴル支部の死神が手伝いに来てくれるんだ」
その沈黙は空也の話の続きで破られた。話している内容は全然別の事なのに、どこか口調が沈んでいて早口で、ひょっとして沈黙が嫌で話し始めたのかなとか志織はぼんやり思う。
「その代わりそこら辺の支部に死者が出たらオレたちが代わりに行ったりとかな。死神が亡くなった時は全支部共通で鐘が鳴るんだけど、その音とか鳴る時間はその支部がどこにあるかで決まるから。さっき言ったような手伝いが必要なトコロには朝一でこの音とは別の音が鳴るし、そうじゃないトコロではまた別の音が昼間鳴ったりとかな。そこら辺はレノイに教えてもらえよ」
「ほとんど全部言ってるじゃないですか」
「あれ? そうだっけ?」
それでお互いに少しだけ笑顔になって、そんなやり取りをしていると今まで見た扉の中で一番大きい死神長の部屋の扉よりも更に大きい、志織の身長の三倍くらいの高さとそれに見合う幅を持った観音開きの白い扉の前に立った。