死神に鎮魂歌を
「最初に言った話、もう忘れたのか? 人口爆発で死神の人手が足りなくなったからだって。もう忘れたっていうんなら、相当」
「いや、だからそういう事じゃなくてね。私は、私っていう存在をどんな状態になっても消したくないからとか、レノイの手助けになれたらいいなとか、そういう個人的な理由。魂の切断って正直辛いでしょ? それをレノイはもう百年以上続けているんだから何か、こう……しっかりした理由があるんじゃないかなぁって思って」
「……どうして突然そんな事を訊く?」
二人の間の空気が、もっと正確に言うならレノイの周りの空気が硬くなったような気がした。
「え、どうしてってちょっと気になっただけ、だけど……」
レノイの周りの空気に気圧されるようにだんだんと志織の声はしぼんでいく。
レノイは志織から視線を外して、どこか遠くを見るような顔をして指で机を一定のリズムで叩く。遠い昔の事を思い出そうとしているのだろうか。それとも別の事を考えているのか。
空気に耐えられなくて志織は口を開いた。
「あ、あのね。有名人だって前言ってたからレノイも知ってるよね。魂が半分ずつしか入っていない双子の天使。その双子の天使にね」
「何か言われたのか」
周りに纏わせている空気よりも硬質な声で、レノイは志織が喋っている途中なのにそれを遮ってまでそれだけを言い放った。
それは一瞬、志織を震わせるほど冷たい響きを滲ませて。
「う、ううん。別に。何も」
だから思わず志織はそう言ってしまっていた。
「嘘だな。あの双子は俺たちを嫌っているからな。お前以外の俺たち、元人間の死神を。で? 何か気になる事でも言われたんだろう? 最近、また何か悩んでるとは思ってたが、そうか。そういう事だったか。で、何を言われたんだ?」
そう問うレノイの蒼い瞳が、初めて志織には冷たく凍った氷の色のように見えた。
「……嘘、だよね……?」
「何が?」
ここ数週間、レノイと一緒にいて辛辣だけど手伝いたいと思うほどの人だと疑った事は無かった。
でも目の前の人は、志織がそう思った人とはまるで別人の雰囲気を擁して問いかけてくる。おそらくはもうレノイの中でも答えが出ている問いを。
「……レノイが、元人間の死神が私以外は生前は犯罪者でその罪を減らすために死神やってるとか、レノイが私の世話をしてるのはその罪がもっと減るからって……嘘だよね?」
毎回毎回魂の切断後に倒れる志織を支えてくれた、暖かくもなく冷たくもない不思議な感触の、決して急かそうとしない手。
言葉遣いは悪かったけれど、志織が分からないところは面倒だったはずなのに丁寧に教えてくれた。
悩んでいる時はアドバイスこそなかったけれど、邪険にする事も絶対になかった。
何より志織が死神になりたいと決める前に迎えに来たレノイの、優しい部分がそのまま素直に出てきたような笑顔と態度と接し方。
それが全部減罪されるためにやってきた事だなんて、志織には思えなかった。
けれど
「そうだ」
たったそれだけで、レノイは志織の願いをばっさりと否定した。
「そうだな。あの二人の言う通りだ。俺たち元人間の死神は全員犯罪者で、地獄に逝きたくないから、地獄で苦しみたくないからここでこうして死神の仕事なんかやってるんだ。罪が減るなんて事がなきゃ誰がお前みたいな面倒な奴の世話なんかする?」
「……面、倒?」
「じゃなきゃお荷物、か。いつだって言ってるだろう」
確かにいつも言われていた。でも志織がいつも聞いていたソレはどこか呆れたような暖かみを持っていたはずなのに、今はそれが欠片もない。どこにも見当たらない。
「大体迷惑なんだよ。俺のためだ? そんなお荷物にしかならない力しか持ってない奴に言われたって邪魔なだけなんだよ」
ガリッと心が強く抉られるような音が、志織には聞こえた気がした。
その一部の抉られた心が液体となって、志織の目から涙として自然に流れてくる。
「嘘……だよね……?」
肯定された今になっても志織にしてくれた事全部が全部、減罪のためとは思えなくて。いや、思いたくなくてただそれだけを志織は呟く。
「嘘じゃない。正直、ずっとずっと……お前は邪魔だったんだっ!」
態度が豹変する事は数多く見てきたけれど、レノイが激昂して叫ぶトコロを初めて志織は聞いた。しかも自分に向けて、本気の響きで。
もっともっと深く抉られたような気がした。事実、精神体でも刻んでいる鼓動の中心にある胸が締め付けられるような痛みを感じた。
それは人が人に傷付けられる痛み。生涯、病院からほとんど出られずにいた志織には程遠かった痛み。
その痛みから生まれる涙は抑える事もなく溢れ続けて、志織に渡されたリストの上に止めどなく落ちていく。
「本当に……邪魔、だったんだね……。私、ずっと邪魔にしかならなかったんだね……」
その痛みに耐え切れなくて、志織はリストだけ慌てて手に取ると椅子から立ち上がってレノイの前から走っていった。これ以上いると、病気でも経験した事のない痛みが自分の胸を裂いてしまいそうな気が本気でしたから。
「しお……っ!」
それを呼び止めようとしたのはレノイ。
レノイの声が聞こえず走り去っていく志織を見て思わず立ち上がったが、志織の背が小さくになるにつれ追いかける事もせず、力弱くストンとまた椅子に座っただけだった。
「リィーズ……」
そうして自分の向かい側、今さっきまで志織が座っていた席を見てはそれだけを本当に小さく呟く。
その瞳にはさっきまでの氷のような冷たさはどこにもなく、ただどこか寂しそうな哀しい色だけが広がっていた。