死神に鎮魂歌を
レノイの声と部屋の奥の机に前と同じ位置にいる椿の声が重なった。同時に違う名称で呼ばれた理人はそこで自分が全く別の話に入りかけていたのに気付き「あぁそうだ」と呟くと、ジオラマを持っていない手で志織の服の端を引いた。
「ちゃんとコッチ向いて、高槻志織。降りなくていいから。出来るわけないし」
降りた方が本当はいいのだろうと志織は思ったが、身体中のそこここにあの老婆の人生の残滓が残っていて理人の言うまま顔を向けるだけが精一杯だった。
「やっぱり顔色よくないな。どうしたって人間として生きてきた死神と生粋の死神は違うからオレには分からない感覚なんだけど、相当辛いらしいな。……で、死神を辞める気になった? 高槻志織」
「それ、どうゆう事ですか死神長。俺の時にはそんな事一言も訊きませんでしたよね」
「だってお前の時とじゃ場合が違うじゃん。高槻志織はただ自分のレゾンデートルが欲しいがために死神になった。けどそんな意志一つで魂を切る作業には耐えられるとはオレには思えなかったけど、説明したところですんなり頷くとも思えなかったから一番いいのは体験させる事。こんな事が毎回あるんだよ。だから高槻志織、大人しく諦めて天国へ逝った方がいいと思うよ」
「変、じゃ、ないですか……」
死神に成る時にあんなにあっさり決まったのは初めから諦めさせるためにそうしたのだと、理解した瞬間に志織の中で何ともいえない強い悔しさが胸や腹の奥から沸き上がってきた。好きなようにされて全てを見透かして志織の想いがどれほど強いかなんか考えてもらえない悔しさ。
その悔しさを持ったまま志織は反論を口にしていた。たった一つの疑問にも似たきっかけを掴んで。
「人手……足らない、んでしょう。だったら何で、私をすぐに天国に逝かせるような真似、するんですか。辛くても、死神の仕事、続けさせた方が……!」
「あぁそれはね、キミが狂っちゃうのを防ぐため」
けれどそのきっかけも頼りなく、あっさりと切り捨てられた。一瞬志織がよく理解出来ない言葉を使って。
意味が分からないと表情だけで語っている志織を理人が下から見上げる。今まで浮かべていたいっそ残酷に見えるほど無邪気な笑みを消して真剣な顔になる。志織が初めて見るその顔を見た途端、理人から凄まじい威圧感を感じる。
「自分と同じ人間の、けれど違う人生を歩んだ人間の人生を一日に何度も体験して共感するんだよ。何度も何度も何度も。その間に自分の心が壊れないって絶対に言える? 狂わないって絶対に言える? 高槻志織。肉体に入ってる人間だったらまだいい。どうせ人間は狂っていようがいまいが百年も経てば寿命で殆どの魂を回収できる。ましてや狂った人間は身体も脆弱になりやすくてその寿命はもっと短い。でも精神体に入ってる死神は違う。気が狂ったら同じように死ぬまで待たなきゃならないけどその時間は人間と比べて遥かに長い。身体は丈夫に出来てるからなかなか死なないし下手したら普通の精神体の寿命である五千年以上も待ってなきゃならない。魂はね、そんな死神の役割も果たせない死神の中に永い間入れておけるほど希少価値の低いモノじゃないんだよ」
そうして理人は表情に笑みを戻した。
「だからね、有効活用の意味じゃあキミが死神でい続けるよりとっとと天国に逝って魂を浄化して新しく生まれ変われるようにしてもらう方がいいの。そりゃあ人材も必要だけどねキミは、いいよ」
瞳に射竦められた。その理人の瞳と言葉が、志織の中の小さかった火を大きくさせる。
「待って、下さい……」
「オイ、まだ無理だ!」
それに煽り立てられて志織はレノイの肩から降りて自分の震える足で立つと、まだ肩に乗せようとするレノイを遮ってそれでも腕だけ借りて自分を支えると理人と同じ目線になる。
「何?」
「私、辞めません……。死神、辞めたりしません……」
志織の言葉にまた理人の表情が消えた。
「強情だなぁ。どうしてそんなに拘るの? そんなにレゾンデートルが欲しいの? そこまで強く未練ある魂を無理やり引き出して天国逝きにすると来世にかなり影響出ちゃうし引き出したヤツには罪を背負わせるからちゃんと諦めてくれる方がいいんだけど」
「それも、あります。これで辞めたら、十六年生きてきた、人間としての私はなんだったんだろうって、思う。けどそれより、今は」
「今は?」
志織はそこで二度深呼吸をした。強く、自分の言葉を言う為に。目の前のここの死神を統べる長に自分の想いを今度こそ本当に伝える為に。
「助けになりたい。私を迎えに来た時、ずっと笑っていてくれた人の」
理人が、椿が、そしてここにいる誰よりもレノイが、志織のその言葉に驚きから目を見開いた。
そのレノイに掴まっている手を少し強めて志織は理人のアメジストの瞳をしっかりと見据えたまま続ける。
「今の私と同じ苦しみを味わったのに、それでもレノイさんは優しく、笑っていてくれた。私が死神でい続ける事で、死神の人数が増えて、そんなレノイさんにかかる負担を少しでも、減らしたい」
まだ他者の人生の残像は志織の中に残り長い言葉は一度に紡げなかったが、それでも志織は今の気持ちを正しく言葉に出来た。
肩に担がれている時、レノイをなんて強い人だろうと志織はずっと思っていた。レノイが死神になったのは百年以上も前でその時間で魂を切るのに多少慣れたのもあるかもしれないが、その間とそして今もどれだけ苦しかったのだろうとも。それがほんの欠片でも分かる志織はただ純粋に助けたくてその言葉は真実だった。
それを伝えたくて目の前の理人の目を見つめ続けているとふとそのアメジストが陰る。今までに見せた事のない理人の、ほんの少し哀しげな表情だった。
「じゃあしょうがないか。誓約書に名前、書いてもらうけどいい?」
「誓約、書?」
「さっき言ったでしょ? 自分と同じ人間の違う人生を何度も味あわされて狂わない保証はないって。それでそんな狂った死神の中に魂を入れてもおけないって。そうするとどうするか分かる?」
「え……?」
「殺すんだよ。狂った死神を。さっき言った無理やり魂を引き出す方法。そこで事前に書いてもらうのが『自分はそうなった場合、殺されても構いません』っていう誓約書。殺人は人間でも死神でも重罪で否応なしに地獄逝きだけど、ここではその誓約書があった場合は殺す側の死神はその罪を免れる。でもね、本音を言えばキミが諦めて天国に逝ってくれる事をオレは望んだよ」
「どうして……?」
「いくら誓約書があって罪を被らないと言ったって死神の本来の仕事である魂を切る作業からかけ離れている仲間を殺す感触なんてね、味わうもんじゃないよ。日本支部でそうなっちゃった死神を殺すのはオレの仕事だから」
「あ……」
哀しく笑う理人を見て、志織は悔しさが鎮まって代わりに何と言っていいか分からない感情が湧いてきた。
つまりこの人は、同じ死神を、おそらくは何人も。
「今日は無理だろうから回復したらでいいからまたおいでよ。言っとくけど『自分は絶対おかしくならない自信があります』って言うのは聞かないから。そんなの分かるわけないじゃん」