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死神に鎮魂歌を

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 過多の情報に身体も頭もついていけず、放り投げられた先。外ではなく病室と繋がっている病院の床と二重になっている透明な床に数時間前に食べた物全てを吐き出していた。
「ゲホッ、ゴホッ! はっ、はぁ……」
 喉が痛い。目が霞む。歯の根が合わない。身体が震える。一瞬前に志織の中に暴力的に入り込んできた情報の氾濫を思い出すともう吐くものはないはずなのに、何度もえづいてしまう。
「おい」
 病室から廊下へと壁を通り抜けて顔を出したレノイはいつもの調子で志織をその冷静な瞳に映す。
「俺はあの人を送っていく。いいか、お前はココにいろ。すぐ戻るからどこにも移動するな」
 矢継ぎ早に志織に命令してレノイはまた病室へと戻っていく。志織にはそれに質問する事も拒否や頷く事さえも出来ないでいた。
 精神体にも心臓はありその鼓動が全力疾走をした後のように大きく胸を突き破りそうな勢いで響いてソレがうるさいとか、この透明な床はどこまで続いているんだろうとか、廊下を行き来している人間の人たちは本当に死神である自分に気付かず通っていくなとか、着たばかりの服を汚してしまったけどどうしようとかどうでもいい事に気を散らせていなければとてもではないが志織には正常でいられなかった。
「志織」
 ソレが功を奏したのかフードを外したレノイが戻ってくるまでの時間を、志織は長くは感じられなかった。
「とりあえずその大鎌を貸せ」
 まだ喋れるまでの力が戻っていなかった志織はまた質問する事も出来ずに震える手で両手で持っていた大鎌を差し出した。実際にはレノイの方にほんの少し動かす事しか出来なかったのだが。
 だからレノイは自分の方から長く手を伸ばすと志織から奪い取るように受け取った。瞬間、志織が知らずの内に自分の支えにしていたらしい鎌が自分から失われた所為で志織は床に倒れこんだ。吐瀉物があるトコロとは全く別の方に倒れこんでこれ以上服が汚れなくて済んだとまたどうでもいい事を考える。
 レノイは自分よりも低い鎌を床に置くと志織を抱き上げて肩に座らせるように抱えた。
「っは……!」
 たったそれだけの振動も今の志織には辛く、涙が零れまた吐き気が込み上げてくる。
「俺に掴まってろ。どうしてもこの体勢だと不安定になりやすいから掴まりやすいトコロだったらどこでも。それとコレ辛いだろうけど持っとけ」
 そうして一度置いた鎌を軽々と拾い上げると、肩の上に座っている志織に差し出す。まだ力の入らない手でそれでも受け取ると、レノイは大鎌を持っていたもう一方の手も志織の支えに回る。腹と足に布越しとはいえ触れられているのに何とも思えないほど志織は消耗していた。ただ落とされないようにレノイの頭に出来るだけの力で掴まるのと、鎌を落とさないようにするのだけに必死で。
 そうして志織を抱え上げてからレノイはゆっくり歩き出す。振動を極力殺したくらいゆっくりと。
「アレ……放っておいて、いいんですか……」
 病室へと抜ける前に志織の目の端に映ったのは自分が吐いてしまった物。両手に握っている大鎌の柄を落とさないようにと、腕をレノイの頭に掴まっていようとする力にだけ集中して他は全てレノイに預けてようやくその言葉だけ搾り出せた。
「どうせ戻ったらここに設置されている精神構成体は全て消える。あの扉は魂がいる場にまで俺たちが歩ける道や床の精神構成体を作る役割も果たしているんだ。扉を解除すればそれも無くなる。アレも精神構成体なんだから片付ける必要なんかないだろう」
 便利な、と志織は思ったがそれは口に出す事は出来なかった。ただ自分の呼吸を深くするだけで。
 廊下を抜けて、未だ悲しむ病室を抜けて、夜空へと出る。その間ほとんど振動を感じさせないレノイの歩みが自分の為だと志織が気付いたのは少し流れた沈黙がちょうど終わる直前だった。
「……辛いだろう」
 そして終えた言葉はそんな言葉。レノイの頭に預けてある頭を僅かに揺らして志織は肯定するだけしか出来なかった。
「アレは俺たち元人間の死神特有の現象だ。魂と肉体の繋がりを切る時、切った死神にはその切られた人間の人生全てが一瞬で流れ込んでくる。そうゆう機能が死神には備わっているんだ。死神しかいなかった時代には天国逝きか地獄逝きか判断が付けられなかった魂は切った死神個人が判断していたらしい。それには人生全てを知る必要があるだろう? けれど俺たち人間の魂を持った死神がそれをやってしまうと元は同じ人間だから流れ込んでくる人生に勝手に共感してしまうそうだ。……一瞬で。その結果が今のお前で、そうなるのは当然なんだ。人一人の一生を一瞬で味あわされたようなもんなんだから」
 不意に志織は自分を迎えに来た時、詳しく言うのなら自分の魂と肉体を切った後、自分の手を握ってくれたレノイの手が震えていたのを思い出す。
 今ならその震えの正体が分かるような気が志織にはした。否、予感ではなく確信で。
 自分の人生を味あわされたのだと。それでも今、志織を支えてくれているレノイは迎えに来た魂。志織を不安にさせないように今と同じような優しい笑顔で笑ってくれていたのだと。同じような体験だけして笑顔どころかマトモに歩く事すら出来ない志織はそれがいかに大変だか、レノイの肩の上で痛いほど分かった。
「それと、部屋に戻って休むのはちょっと我慢しろ。死神長からどうしてだか終わった直後のお前を連れて来いって厳命されたんでな」
 最後の方は扉が閉まる音と重なって聞こえた。志織の視界に僅かに映る白い空間に戻ってきたのだと分かった。
「歩け、ます……」
 レノイがどれだけ大変な思いをしていたか理解した志織はこれ以上自分が肩に乗って迷惑をかける事が耐えられなくなり、やっと回復し始めた気力を振り絞って声に出した。けれどレノイは聞こえなかったかのように志織を降ろさず歩みを進める。
「一人で、歩け、ますから……っ」
「そんな今にも倒れそうな声で何言ってんだ。魂と肉体の繋がりを切るのに慣れてない元人間の死神がどんな状態になるかは俺が一番よく分かってるんだから、大人しく担がれてろ。それに、もう着く」
 頭を僅かにずらして視界を移動させた先。初めて来た時には見えなかった廊下の終わりとそこにある扉が今の志織にはやはり見えていた。白い廊下や扉の中で異質な深い茶色の扉。志織たちが使った扉よりふた回りほど大きい。両開きのその扉の片方をレノイは二度ノックをする。
「コードナンバー1709。レノイ・C・ロムウェルとコードナンバー7451。高槻志織入ります」
「どうぞー」
 高級そうで、防音に優れていそうな材質で作られているのに中の理人の声がはっきりと志織にも聞こえる。
「失礼します」
「待ってたよ、高槻志織」
 相変わらず線路と鉄道のジオラマが縦横無尽に張り巡らされている部屋で理人はひょいと床から立ち上がった。手には今設置しようとしていたのか一個のジオラマの前部分が握られていた。
「あ、コレ気になる? ようやく完成したんだよー。N700系のジオラマ! 技術開発部の奴らにファステックの全種類と一緒に頼んでたんだけど皆後回しにしやがってさ。まぁその分クオリティが高いからいいんだけどさそれにしたって遅すぎだと」
「死神長」
「理人」
作品名:死神に鎮魂歌を 作家名:端月沙耶