死神に鎮魂歌を
椿の言葉に弾かれるようにまた志織がファイルに目を戻すと、そこには今見たのと全く変わらない情報。それを眺めているといつの間にかそのファイルが震えているのに気付いて、志織が首を傾げるとそのファイルを持つ自分の手が震えている所為だと分かった。
「あ……」
「何か質問でもありますか?」
「いいえ、そうじゃなくて……」
言葉を一旦区切って志織はファイルを閉じて、それを自分の膝の上に両手を添えて置いた。
そういえば。と志織は思い出す。自分が死んだ時、黄泉への旅路の途中に死神になりたいと言った志織にレノイが『最悪一緒にいたかった人を自分の手で迎えにいかなければいけないかもしれない』と言ったのを。
「私、最初の時は自分を消したくなくて、それが出来る死神になろうと必死だったんで考える余裕無かったんですけど、死神になるっていうのは人を死に導かなきゃ、殺さなきゃいけないんですよね」
それはそのままそんな当たり前の事にまで考えが及ばなかった程、志織が強く自分の存在証明を望んでいたという事に繋がる。
「やめますか? 通常の死神にならこの件は一人で出来る事です。レノイにこの件は回して今すぐ貴女の精神体と魂と切り離してそのまま貴女を天国に連れていく事も可能です」
それを分かっていながら椿は訊ねる。ようやく自覚した事実に俯きがちになった志織の瞳を見ながら。
それはそうしなければいけないと椿が思ったから。ここで迷うような素振りを見せたら、すぐに志織がそれを否定しても椿は魂と精神体を切り離して理人のトコロへ志織の魂を連れていこうと決めていたから。
それほど、元人間の死神に待っている事は残酷で辛いモノだったから。
けれど志織はその椿の心配にも似たような感情とは裏腹に、緩やかにだが全く迷わずに首を横に振った。
「やります。私は、まだ何も見つかっていない私を消したくなんてないから」
そして俯きがちだった顔が上がると、強い決意を隠そうともしない志織の瞳と椿の瞳がぶつかる。
その強い瞳を見て椿は志織に気付かれないほどに小さくだが表情を変えた。悲哀の表情へと。同情するような表情へと。
「それでは志織さん、一つ言葉を差し上げます。私達死神は人を殺しに行くのではなく、人を迷う事無く迎えに行くのです。死は誰にでも平等に訪れます。貴女は少し違った方法で延命を許可されましたがこの精神体にも寿命はありますし、大きな怪我や病気を患えば死に至ります。私達が人に死を与えるのではなく、そうやって同じように訪れた死を迎えた魂がきちんと迷う事なくあるべき場所へと連れていくのが私達死神の役割です。殺しにいく、のではなく迎えにいく。のです」
「はい!」
椿の言葉に志織は、胸の中に僅かに生じ始めていたこれからする事に対する黒い罪悪感を払拭された気がして表情まで明るくさせ大きく頷いた。その表情を見ながら椿はまた表情を少し陰らせる。そしてそれにも志織は気付かない。
「ではレノイが来る前に支度を済ませてしまいましょう。まずは食事からですね。魂には必要のないモノでしたが、作り始めてから何日も経っている精神体にはエネルギーを与えないといけません」
ファイルをしっかり持ったままそっとストレッチャーから降りた志織は、椿にそう言われると急にお腹が空いたように感じられた。決まった時刻に食事を出され、そんな感覚とは今まで無縁だった志織にはそれも『生きている証』のように感じられて、顔が緩んでしまうのが自分でも分かった。
椿は部屋の出入り口であるドアに向かっていてそんな志織の様子を見る事は出来なかった。
レノイの部屋のドアノブを掴んでから振り返って志織を見る。
「それから貴女のサイズに合わせた大鎌も探さなければいけませんし。色々とやらなければならない事はありますから」
「はい」
頷いた志織には前を向いた椿の表情は見えない。
それよりも志織は部屋を出て行った先に見えた光景に驚愕してしまって、傍らにいる椿に気を向けている余裕がなくなっていた。
「何ですか、コレ!」
魂の状態でいた志織にはレノイの部屋のドアを開ける事もなしにすり抜けて部屋を出て行く事は可能だった。精神体が出来上がる今日までにレノイが仕事でいなくなった時は暇を持て余してそうやって部屋の外に出たが、部屋の外は最初に見た回廊と似たようなけれどドアのない白い廊下が続いているだけであって更に暇が膨れ上がっただけだったが、今志織が見ている光景は志織と椿以外の人たちが何人もドアの前を行き交い、正面の壁は白ではなく透明になっていてその向こう側は遥か遠く見えずにその間を植物が遮っているという今まで見たのとは全くの別物になっていた。
「どうかしましたか?」
「いや、あの。今まで全然別のモノが見えていたんですが……」
「あぁ。志織さんは今まで魂の状態でいたんですよね。魂と精神体と肉体の違いの説明はレノイから聞きましたか?」
ココにいる事を決めた初日に理人からレノイに教えてもらいなよ、と言われて不承不承ながらも律儀に教えてくれたレノイの説明を志織は思い出す。
魂という数日で消滅してしまうモノを入れる入れ物には二種類ある。今志織を構成する精神体と呼ばれる身体と、昔志織を構成していた肉体と呼ばれる身体。入れ物は両方とも魂が入っていなければ呼吸などの生命維持活動をしているだけの人形と化し、魂は基本的に入れ物がなくては存在していられない。
そして入れ物である精神体と肉体の違いは魂が精神体に入った者は魂が肉体に入った者を普通に感知出来るのに対して肉体は精神体を感知する事は出来ず、また精神体は肉体のおよそ五十分の一の老化スピードで年老いて、病気や怪我にも強い。その代わりのように肉体は精神体では決して出来ない魂を生み出すという行為が出来る事。繁殖力が強い事が挙げられるというレノイから教えられた事を思い出せるだけ正確に志織は椿に伝えた。
「そうです。おそらく今まで志織さんが見ていたのは魂だけの状態で見える光景だったのでしょう。けれど貴女が自分用の精神体を与えられた事によって、貴女が今見ている光景は精神体という器を通して見ている光景になったという事です。魂には見えなくても精神体には見える物がここにはたくさん使われていますから。そうゆう精神体が感知出来るような物を精神構成体。肉体が感知できるのは肉体構成体、人は物質とか呼んでいましたか。そうゆう風に私達は名前をつけています」
「精神構成体……」
呟きながら目の前にある透明の壁をノックしてみる。それは小さく音を立ててアクリルのような感触を志織に伝え、人間でいた時と全く変わらない感覚にけれどコレは違うんだという、どこか不思議な感じを覚えた。
「さぁ行きましょう。先ほど言いましたように時間はあまり無いのですから」
「あ、はい!」
促すように先をさっさと歩いていく椿に置いていかれないように、慣れない靴で志織は後をついて行った。
数日過ごしたレノイの部屋があるトコロは『居住区』と呼ばれそこから上に行ったトコロにあり、最初に志織が辿り着いたトコロは『業務区』と呼ばれている。その業務区に志織とレノイはいた。