漆黒のヴァルキュリア
第一章 戦乙女とお供のカラス 5
どこまでも続く、広く、そして青い空。
しかし、暗雲――もとい、スモッグ立ち込める首都の片隅では、静かに、しかし激しい死闘が繰り広げられていた。
「これは絶対に覚えるのよっ?」
「あ〜、その書き方は違うでしょう?」
「そうそう、よく出来ました〜」
教室に響く穏やかな声音の中に、大人も失禁するくらいの迫力が篭っている。
お受験塾『御大尽御受験倶楽部』。
ここに通うサラブレッド達の中で、一際異彩を放つ児童が一人いる。
まずは無言。
それから無表情。
そして無感動。
子供ならではの感覚が、まるで見て取れない。
また風体も異様だ。ぱりっとしたジャケット姿は、まるでやり手の営業部長といった貫禄を漂わせ、何より、日の丸を挟んだ『極上』の文字をあしらった額の鉢巻。『合格』ではなく『極上』という文字のチョイスがまた「コイツのオヤ、ナニカンガエテンダ?」の世界を醸し出している。
それでいて、栄養失調じゃないかと思わせるような青白く華奢な容姿と、キャッツアイに似たフレーム形状のメガネが、その風体に良く似合っていた。
「……先生」
無言だったその児童が、教室の教員に向けて口を開くと、教員はビクリと肩を震わせる。
「それ間違いです」
「あ、あれ? そう? シンタくんのが間違いじゃない?」
辛うじて残った教員のプライドも、無言で差し出す児童のノートによって、ズタズタにされる。
「さ、さすが日本一の天才児ね〜……せ、先生ちょっと間違っちゃったぁ」
頬を微妙に引きつらせながら教員が言うと、児童の顔に、ようやく表情が浮いた。一言で言い表せるそれを、人は『嘲笑』という。
「ふ……日本一? ボクが相手しているのは世界ですよ? まぁ、まず手始めに、このつまらない『お受験戦争』から制していくつもりですけどね?」
天才児『戸川紳太』の傍らで、エナは関心しきりに頷いている。アストラル体であるエナとムニンは、普通の人間に見られる事はない。案の定、教室の誰にも気付かれていない様子だ。
「おおお〜〜……聞いたか? ムニン。世界だって世界! 言い切ってるよこのジャリンコ! いやぁ〜、この歳で立派なもんじゃないかぁ〜。しかも、戦争を制するときたもんだ! こりゃ今度こそ期待できるよな!」
エナが嬉々として視線を相棒に向けると――
「……なんだよ、その目……?」
呆れ切って唖然としているムニンの顔があった。特にその眼差しは、憐憫の色をも宿している。
「……言いたいことも我慢しなければならない、というのも、ある意味拷問ですわね?」
くすっ、と、紳太のものとはまた違う嘲笑を浴びせるムニン。
「……いいぜ? 遠慮なく言いたきゃ言えよ。オレ怒んねーから」
不機嫌を顔に貼り付け、エナが腕組みしながら言う。
「ワタクシ、別にアナタに遠慮しているワケではありませんことよ? エインヘルヤル選定に関する意見を言う事を、禁じられてるだけのことですもの」
「くっそ〜……なんで、たかがカラスにナメられなきゃなんないんだよ。そのうち焼いて食ってやる」
引きつった笑みを浮かべながら、エナは額に青筋を浮かべた。
「ま、もっともらしい理由は考えておく事ですわね。連れて戻ってから、黒騎士様に「捨てて来い」とか言われませんように」
ほほほ、と、ムニンは翼で口元を隠しながら笑う。
「うっせーな。大丈夫だよう。黒騎士だって気に入ってくれるさ。じゃ、いつもの頼むぜ」
言って、エナはムニンを頭に乗せた。
「まったく、その自信は一体どこから来るのかしら……」
溜め息を吐きつつ、ムニンは翼をゆすり始めた。
黒騎士へと、メッセージが送信される。
二人共に、足元から注がれる視線に気付くことなく……
作品名:漆黒のヴァルキュリア 作家名:山下しんか