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漆黒のヴァルキュリア

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第四章 女神達の黄昏 9



 恵那からのメッセージを受け取った直後、俺はようやくそこに辿り着いた。
 広大な萱の原。そこが俺の中にある原風景だと、一目で分かった。
 だが、俺にはそれを懐かしむ余裕は無い。
「恵那ああああぁぁぁぁぁっ!」
 一声叫び、そこに降り立つ。アストラル質の抜けた恵那の身体は、今まさに崩壊寸前だった。
「ほう、見捨てずに来たんか、監視人。エインヘルヤル……やったな? 神でも精霊でもない、中途半端な存在が……フレイヤはんに、なんて焚きつけられてここに来たんや?」
 異形の女神の問いに、俺は口を開いた。
「成仏するためさ。俺はフレイヤから、エナがエインヘルヤル二人を補充したなら、俺をエインヘルヤルから解放する、と、そういう約束を取り付けた。だから、困るんだよ。こんな所で、エナに消えられるのはな」
 言って、俺は剣を抜く。
 異形の女神は、俺の言葉に苦笑を浮かべた。
「まったく……ほんまフレイヤはん、人が悪いわ……フレイヤはん、アンタを手放す気ぃなんかあらへんで?」
「そうだろうな」
 俺は即答し、頷いた。
「せやかて、今更ウチの力じゃ、そのコ戻せへんし……せやな。成仏が望みなんやったら、アンタも纏めて消し去ったるわ。それでどうや?」
 女神の言葉に、それも悪くはない、と、正直そう思った。
 だが、それでは少々後味が悪い。
 紳太には、しばらく母親代わりの存在が必要だ。それに、俺も後見人になると約束した。何より、フレイヤの悔しがる貌を見なければ気が済まない。
 そしてもう一つ――
「俺も、恵那に言わなきゃならない言葉があるんでな。だから――」
 俺の殺気を感じたのか、女神の貌から余裕が消えた。
 刹那、俺は疾駆した。体当たりをかまし、そのまま恵那から遠く離れる。
 この半世紀以上、俺は屈強な戦士たちを相手に、技を磨いてきた。恵那から教わった技は、全て完璧に使うことができる。
 数百メートルを疾ったところで、女神は俺を蹴り放す。
 直後、
「水蛇! 八閃!」
 女神が八条の水流を俺めがけて放ってきた。
 一、
 二、
 三、
 三本までをかわし、残りを剣圧で相殺する。
 が――
 刹那に放たれた女神の衝撃波までは、止める事ができなかった。
 衝撃波は俺の胸甲とフルフェイスヘルムを粉砕した。
「ほぅ……それが素顔か。なかなか精悍な、えー男やないの」
 ここまでが俺の実力と思ったか、女神は余裕の笑みを浮かべた。
 だが、手を抜くつもりもないようだ。
 女神は水晶玉と経典を持つ二本の手で何かを呼ぶ。
「あのコと同じ技で葬ったるわ……」
 その言葉に、ぞくり、と、俺の背筋を冷たいものが駆け下りる。
 大技でくるというなら、出がかりを潰してやればいい。が、のこる二本の腕と、それが持つ琵琶の音曲が、俺を近づけさせようとしない。
 なら――
 俺もまた、奇神一刀流の奥義に賭けるしかなかった。
「来たれ水竜の王! 砕け散れええええぇぇぇぇぇ!」
「奇神一刀流奥義! 崩山剣! 喰らえオラアアアァァァァ!」
 放たれた、超高圧で膨大な質量の水流。
 放たれた、山をも貫き崩す鋭利な一撃。
 強大なエネルギーは真正面からぶつかり合い、互いを消し去り霧散した。
 が――
 次の瞬間、霧となった大量の水の奥から、高密度の衝撃波が俺を襲った。
 刹那、
 それは爆音と共に、俺の身体を弾き飛ばした。
「がっ、は……」
 俺の口から、呻きがこぼれる。まともに食らった右腕は死に、もう剣を握る事などできない。
 そして、視界の殆どを埋める霧。それが晴れたとき――
 そこには、異形の女神が立っていた。
「……やるやないの……アンタ……名は?」
 女神は、俺の目を真正面から見据えて、そう呟いた。
 俺は立ち上がり、砕けた剣をその場に捨てると、口を開く。
「……爆裂のエインヘルヤル……高山響七郎だ」
「……そうか……ウチ、強い男は嫌いやないで……例え神殺しでも……な」
 屈託のない笑顔を見せ、そして彼女は、そのままその場に倒れこんだ。
 女神の半身は、半ば吹き飛んでいた。四本の腕は、右の二本が消滅している。琵琶もなく、これで女神が俺を攻撃する手段はない。
 女神は、奥義の後に投げつけられた、俺の爆弾四発を食らっていたのだ。また、その爆風は衝撃波の軌道を微かに変えてもいた。
 女神は、虫の息だった。
 しかし、それなら尚の事――
 俺は、ふらつく身体に鞭打ち、恵那の元へと向かう。
 恵那にも時間はない。
 俺もまた、決して無傷ではなく、どこまで動けるのかは分からない。
 急がなければならなかった。
 恵那の刀で女神に止めを刺し、その女神が保有するアストラル質を、恵那と俺がもらう。上手くいくかどうかは分からない。が、そうするより他に方法はない。

 俺は、横たわる恵那の傍まで行くと、その顔を覗き込んだ。開いたままの恵那の両眼が、俺を捉える。
「響七郎……な、の……?」
 弱々しい、恵那の問いかけ。
「……ああ、そうだよ。もう少しの辛抱だ。必ず……俺が助けてやる」
 俺はそう言って微笑むと、まだ動く左手で、恵那の刀を掴んだ。そして、恵那の身体も抱き寄せる。
 アストラル質の肉体に、元より質量などない。
 だが、それを差し引いてもなお、俺は恵那の身体が軽いと思った。
「響七郎が……黒騎士だったんだ……」
「喋るな。消えたくはないだろ?」
「……うん」
 弱々しい指先で、恵那は俺の頬に触れる。俺は急いだ。無理が祟り、俺の肉体からも、アストラル質の流出が激しい。
 だが、今にも消えそうな恵那の方が、何より気がかりだった。

 女神の傍まで辿り着くと、俺は恵那を横たえて、抜き身の刀を逆手に握った。
「……済まないな……」
 俺は女神に、そう謝った。
 別に、この女神に恨みがあった訳じゃない。
 憎んでいた訳でもない。
 女神は女神で、慈悲の心から俺とエナを消そうとしただけの事だ。
 大元となった土地神の確執が無かったなら、あるいは笑い合い、酒でも酌み交わせた相手であったかも知れない。
「……気にせんでもええよ……はよ、しぃな……そのコ……助けたいんやろ……?」
 女神は、苦しい息の中で、微笑みと共にそう言った。
 俺は無言で、大きく刀を振り上げた。せめて、外しはしない。
 その時だった。
「……そこまでにしといてぇな。エインヘルヤルのお兄はん」
 振り上げた俺の左手を、そんな声と共に暖かな手が包み込み、止めたのだ。
 同時に、周囲に眩いばかりの光が満ちていく。
「……天照の……姐さん……」
 異形の女神が、その存在を見て呟いた。
 俺の真正面に降り立ち、慈愛に満ちた眼差しを向けるその人。
 金色に光り輝く存在。
 この国の――八百万の神々を統べる大神。
 俺は思わずその場に跪いた。信仰からではない。そうせざるを得ないような威厳を感じたからだ。
「まったく……あれほど、ケンカはあきまへん、て、言いつけておいたいうのに……ホンマに、しょうのないコどすなぁ」
 天照はそう言って、異形の女神に触れた。
 次いで、恵那と俺にも優しく触れる。
 その瞬間、今にも消えかかっていた恵那と――そして俺の身体が、たったそれだけの事で、元の様に活力を取り戻した。