小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

長脇差しの男

INDEX|3ページ/4ページ|

次のページ前のページ
 

「手伝いで魚を買い付けに行く朝早くに道場の前を通ると、いつも掛け声が聞こえるのです。ふと気になり中を見ると、あの方が木刀を振るっておられました。幾日も幾日も、独りで真剣な面持ちで木刀を振っておられたのです。それを毎日覗いてるうちに。」
「惚れたと。」
 娘は赤くなりながら俯く。
 これは本域の生娘だと男は感じていた。
 この手は色恋沙汰では厄介なものである。
「目を掛けられて。」
「愛妾にと言われたか。」
「ほんに嬉しかったのですが。」
「妾では。」
「苦しいのです。」
「うんとも言えずに。」
「嫌とも言えません。」
「諦めて貰おうと、か。」
 それであの中途半端な態度である。
 娘はまた一度頷いた。
 あれでは余計だろう、と内心苦笑いしながら男は思い直していた。
「ですから。」
「それとこれとは。」
 娘の声を遮って男は言い切った。
 話が別だと伝えていた。
「俺も惚れたんだよ。あいつの刀に。だから斬り合わなきゃしゃあないのさ。」
 娘は心底不可解な想いと不安から、最早紙細工のような顔を見せる。
「島崎とやらが生きて帰ってきたら。」
 男は変わらぬ飄々とした顔で言葉を続けた。
「駆け落ちでも頼んでみな。」
 そう言って男はひらひらと手を振ると、店を後にした。
 
「さて。」
「やるか。」
 草原にて佇む島崎に男が声を掛けると、島崎は刀を抜き去った。
 応じて男が刀を抜くと、島崎は草履を脱ぎ捨てる。
 速く動くのに草履は不得手である。
 男は草鞋であり、露地での多少利はあったが、お互い兎角言うことはなかった。
 それを兎角言うならば、この場所は島崎の良く知る地所である。
 どちらもそれを問うことはない。
 そもそもが相対する者は皆。
 生まれた時が違う。
 育った場所も違う。
 師も。
 流派も。
 背格好も。
 獲物の長さすら。
 公平等と程も遠い差を持っている。
 そして例え、その何の全てが劣っていようと。
 刀を持てば勝つ。
 そう自惚れているのであった。
 気が付けば、二人の間合いは十尺ほどに詰まっていた。
「連れは置いてきた。邪魔は入らん。」
「そうか。」
 言葉にして島崎は無粋なことを口にしたと感じた。
 途端。
 男の剣先が振れた。
 男の体が眼前にあった。
 剣先が鼻っ面に迫った。
 突き。
 島崎は思いっきりに飛び退く。
 途端に島崎は苦笑いをしそうになった。
 飛び退いて改めて見ればゆうに間がある。
 男は正眼に構えて、島崎を睨み付けていた。
 嘲りなど無かった。
 島崎は口角を上げそうになって、口を引き締めた。
 しかし。
 そう思いながら、島崎は改めて驚嘆した。
 男の構えは、堂に入ってるどころではない、奥に入ってる。
 生半には崩れまい。
 その構えを前に、島崎は心を決した。
 島崎の刀が頭上へと上がっていく。
 上段へと体は為っていた。
 左足をさらに半歩前に出し、臍下に力を込める。
 男が一歩にじり寄った。
 島崎が半歩ほど足を擦り寄る。
 そこで一瞬止まった。
 斬れる間合いまで一歩分。
 男が僅かに足を浮かせる。
 瞬間、島崎は右足を強かに踏み出した。
 上段から右袈裟に剣筋が曲がる。
 左首から右脇腹へ。
 剣先を滑らすように振り下ろす。
「しぃっ。」
 島崎の口から舌打ちのように息が漏れる。
 手応えがない。
 男は体を半身に、足を左へと。
 島崎から見るに剣筋の僅か右へとずれていた。
 男は刀を左から島崎の右脇腹へと滑らす。
 途端に男は背筋に寒気を感じた。
 島崎が強かに踏み込んだ右足を、いきなりに引き戻し体を開いた。
 咄嗟に男は間を目算した。
 避けきらん、刀は腹へと達する。
 しかし、そうではなかった。
 島崎は渾身に体を開き、その勢いで、袈裟に下ろした刀を強引に横薙いでくる。
 斬られる。
 男は瞬くに悟った。
 男は島崎を斬る手を僅かに返し、自らの刀を島崎の刀へと向かわせた。
 鈍い嫌な音がする。
 金属粉がはじけ飛ぶ。
 二振りの刀が中程で交差し弾き返った。
 その勢いに乗るように、男と島崎は弾き退く。
 飛び退いて刀を握り直し、男は手に酷い痺れを感じていた。
 刀の腹は痛々しく刃こぼれを起こしている。
 島崎は心胆を冷やしていた。
 あの型は本来避けきるのである。
 相打ちになりかけた。
 男の踏み込みが常人よりも遙かに速く深いのである。
 男が構え直すのを島崎は妬みの思いで睨み付けた。
 二度はないだろう。
 そう思い、島崎は構えを正眼へと戻した。
 それに対したか、逆に男が上段へと構えた。
 島崎は訝しんだ。
 男の太刀筋は三度見た。
 それで分かる。
 男の刀は速く、体捌きは疾く。
 上段になど構える必要はなく、むしろ変幻が少ないために、足の邪魔となる。
 だからこそ今まで正眼であっただろう。
 守りを薄くし打ち込ませる腹か。
 島崎は、そう結論づけた。
 男が一歩近づいてくる。
 打ち込まず出方を見る。
 島崎は、そう考え半歩近づいた。
 間合いまで二歩の距離である。
 途端に男の体が迫った。
 男の腕が振り下ろされる。
 島崎は驚嘆した。
 間合いは未だ足りていない。
 剣先が滑る先を推して理解した。
 刀か。
 男の刀は島崎の剣先を狙っていた。
 刀を叩き落とさんとしている。
 とっさに島崎は腕を思いっきりに返す。
 男の刀へと刀を振り上げる。
 今一度草原に鈍い嫌な音が響き渡った。
 一本の刀が虚空に舞い上がる。
 男の刀であった。
 振り上げた島崎はしかし、寒気を感じた。
 手応えがなかった。
 有るはずの手の痺れがなかった。
 刀がぶつかる刹那。
 男は既に刀を握ってはいなかった。
 島崎が刀を振り上げきった今。
 男の手は腰の脇差しを既に握っている。
 島崎は、その姿を見るや、背筋に幾万の虫が走るのを感じた。
「かぁっ。」
 来る。
 来る。
 あの居合いが来る。
 浮いた足を何とか踏ん張らせる。
 足を離す。
 遅いかっ。
 男の体が開く。
 手が跳ねる。
 刀が滑り出す。
 いや。
 しかし。
 遠い。
 脇差しならば。
 届かん。
 そこで島崎は自らの愚かさを悟った。
 男の刀は長脇差しである。
 島崎は腹に突き刺さるものを感じた。
 直後に。
 火鉢を突っ込まれたように熱くなった。
 島崎は飛び退いた足を堪えきれず、草原へと倒れ込んだ。
「くはっは。」
 島崎は、笑おうとして笑えないことに気付く。
 呼気すらままならない。
 腹の筋が斬れてしまっている。
 残心を解いたのだろう、男が近寄ってくるのが分かった。
「まっ……げっ。」
 そこまで言って島崎はがふがふと気を吐いた。声も出せず、ぱくぱくと口を動かす。
「そうかい。」
 島崎の口を読み、男は素っ気いもなく言った。
「かっ……かかっ。」
 笑おうとして島崎は激痛に悶えそうになった。
 島崎は笑いたかった。
 まさか、刀を投げ捨てるとは。
 礼節も武士の魂も道も定跡も関係ない。
 これが真剣の勝負なのだろう。
 楽しかった。
「楽しかったなあ。」
 ああ、楽しかった。心底に。
 島崎は口を綻ばせる。
「良い笑顔をするんだな。あんた。」
 男は笑った。
作品名:長脇差しの男 作家名:春川柳絮