心の中に
無残にも命を落とした仲間の魂を救うことからも、キリスト教は歓迎された。農民たちは死んだ仲間が「パライソ」つまり天国で安住の地を得ていると思い、その心を静めていたのである。
キリスト教は真綿に透明な水が染み入るように、農民たちの心に浸透していった。
「どうすべえ。やはり江戸へ行って直訴するか?」
「うむ。ただお祈りしているだけでは、埒が明かねえ」
村人たちの話はお祈りから、次第に直訴の話に移っていた。
当時、直訴をする場合は死を覚悟しなければならなかった。
まず、領主が直訴を許すはずがなかった。
それに当然のことながら関所を通るわけには行かぬ。ここでも、「関所破り」という罪を犯すこととなる。
そして、運よく老中の駕籠先までたどり着いたとしても、駕籠先を乱す不届き者として、ほとんどの者がその場で斬り捨てられたと言う。
直訴とはそれだけの危険を伴うものであり、相当な覚悟がいるものだったのである。
「おらが行くだ」
そう言って立ち上がったのは仁助だった。仁助は村でも働き者の若者で、人望も厚かった。
当時の農民は読み書きの習いが禁止されていた。それでも宣教師は農民たちのために、簡単な読み書きや算術を授けたという。であるからして、彼らには直訴状を作成するだけの能力が備わっていたのである。
「仁助、お前に行ってもらえるのは心強いが、お前はこれからの村を背負って立つ若者だ。こういうことは儂のような駄目な奴にぴったりの役じゃねえか」
そう言って腰を上げたのは与吉だった。
与吉は下人と言って、自分の農地を持たない、言わば庄屋の下請けのような存在だった。もう四十を過ぎた男で、若い頃に産後の肥立ちが悪い妻を亡くした。そして愛娘も小さい頃に神隠しに遭ったというが、それは事実ではない。密かに人買いに売られたのだ。与吉の不注意で庄屋の馬を死なせ、娘を売ったのだ。当時の農民にとって、牛馬は時に人の命よりも大切に扱われたのである。その時の与吉の落胆ぶりは筆舌に尽くしがたいものがあったという。
「仁助は直訴状さ、書いてくれ。儂が持っていく。儂は今まで何もできなんだ。やっと今になって、人様のために役立てる時がきた」
そう言って与吉は拳を強く握った。そして、瞳には熱い炎がたぎっている。
そんな与吉に村人たちは熱い視線を送った。