サーガイアの風見鳥
店内は、俺のよく知るゲームセンターの雰囲気ではなかった。ゲームの配置自体はそこまで特殊ではない。自動ドアをくぐると、店の外側から見えるように配置されたクレーンゲームのコーナーがある。美少女フィギュアの類ばかりなのは特殊と言えば特殊か。背丈の大きな水着姿の少女のフィギュアを狙って、黒いスーツ姿の大柄の若者がクレーンゲームにかじりついているのが見える。そこを通り過ぎると、アーケードゲームが並んだフロアに入る。画面がちらちらと明滅し、てんでばらばらのBGMや効果音が入り乱れている。
しかし、圧倒的に、青年の姿が少ないのだ。古めかしいアーケードゲームにかじりついているのは、ほとんどがくたびれた背広姿の中年男性たちである。冴えない顔つきだが、ゲームをプレイしている間は、童心を感じさせる表情をしている。二階に続く大きな階段があり、そこにも、中年男性たちがたむろしていた。
ここは、いわばゲームの資料館だった。新旧様々なアーケードゲームが並び、子どもの頃からそれらを遊び尽くした大人たちが、子ども時代をここで長らえさせている。懐古ではないように思えた。なんのことはない、彼らはずっと、小さなコインを握って、それを金属製のスリットに滑り込ませてきただけだ。スーツ姿の今になっても。薄暗く、色とりどりの光がその闇の中で明滅する「未来の遊び場」で、彼らは遊び続けている。俺にとって居心地がいい場所ではなさそうだった。ゲームは、「僕らのもの」ではなかった。彼らのものなんだ、たぶん。今からそこに入門出来るだろうか?いや、腕前という点でいえば、家庭用の移植作品ではなくエミュレータで鍛えた俺は相当のもののはずだ。それに加えて俺の目の良さは、ゲームにだって役に立つ。
階段のすぐ横に、ひときわ異彩を放つ大きなビデオゲームが鎮座している。二人が横並びに座れるベンチが本体と一体化した、まるで戦闘機のコックピットのようなかたち。青や赤で大きくゲームの名前が書かれている。頑丈そうなひさしの奥をのぞき込むと、画面が継ぎ目なく横に三つ並んでいる。そのうち、真ん中の画面だけが少し黄ばんで見える。まるで乗り物のようなゲーム機。俺のお目当ての品はこれだ。
それは未来のゲームだった。作られたのは30年も前だが、間違いなく、未来のゲームだった。継ぎ目のない三画面は、鏡を利用して実現されている。そこに映し出されているのは、俺が自宅のコンピュータでプレイしているものと同じだ。だが、けた違いに大きい。俺は椅子に座り、目の前のテーブルに設置されたレバーとボタンを見た。丸い出っ張りのついた赤いレバーと、仲良く並んだ二つのボタン。握ってみる。ひんやりとして、掌になじむ感覚がここちよかった。かちゃかちゃといじってみる。いい音がした。
財布からコインを取り出し、それを筐体の下の方にある銀色のスリットに滑り込ませた。ガコン、という重低音がその動きに共鳴し、ゲームが始まる。銀色の戦闘機を駆って宇宙をかけめぐるシューティングゲーム。画面構成やBGMは自宅で遊んでいるそれと変わらないが、音がすさまじい。そういえば、このゲーム機には椅子の部分にボディソニックが内蔵されているんだった。尻がびりびりと震える。未来のゲームだった。
しかし、調子が悪い。何度やっても、最初のステージすら越すことが出来ない。爆発、爆発、また爆発。レバーをガチャガチャといじる。操作感の違いはもちろんだが、なんだか戦闘機の動きも少し違う気がする。どんどんコインが筐体に飲まれていく。一度コイン飲まれがあったが、どうやって店員を呼べばいいのかわからず、そのままにしてしまった。またやられた、次……コインがもうない。仕方なく、俺は出入り口のそばにある両替機に向かった。
何気なく、両替機の向こう側のクレーンゲームフロアを見ると、さきほど見かけた黒スーツの男がまだそこに張り付いていて、真剣なようすでクレーンを操作しているのが見えた。クレーンゲームのケースの中には、白い水着を着た少女のフィギュアが不気味に並んでいて、彼はそれをクレーン機で釣ろうとするのだが、少しアームがフィギュアに触れるくらいで、一向に釣れる気配がない。なにやら視界がぼやける。ぐいぐいと目頭を揉んでみると、スーツの男が財布をとりだしているのが見えた。懲りないやつだ。俺は1000円札を両替機に突っ込むと、じゃらじゃらと音を立てて出てきたコインの山を鷲掴みにして、ゲーム機のところに戻った。
しばらくプレイしていると、段々焦れったくなってきて、それ以上に不安のようなものまで胸中にこみ上げてきた。画面がにじんで見える。自分の下手なプレイを、誰かに見られている気がして仕方がない。恥ずかしい。いや、現に見られているのか……。
「お恥ずかしく思うのも仕方ありますまい、そのご様子では」
横の席に、青白くて小太りの男が座って、俺がプレイするゲーム画面をのぞき込んでいた。薄い頭に、丸顔眼鏡。うっすらと生えた無精ひげがやたらと気になる。よれた汚いポロシャツにカーキ色のズボンという姿で、脂汗をかいている。眼鏡が光って、表情はよく見えない。
「自機の動きにねー、あなた、無駄がとても多いではありませんか。このゲームは当たり判定がねー、昨今の弾幕シューティングゲームに比べるとですねー、とても大きいんです。わかりますか? 無駄な動きをしている暇はないんですねえ」
またゲームオーバーになった。変に甲高くて女みたいな声のその男は、ずい、とこちらに顔を向ける。
「それとねー、闇雲に連射ばかりしていらっしゃる。それではねー、このゲームはクリア出来ませんでしてよ。ええ、弾はねー、画面内に、決まった数しか表示されませんでねー、撃ちすぎると弾切れを起こします。それに、画面が広いですからねー、見越し射撃をなさいませ。ええ。基本ですからねー」
俺は少し身を引いたが、男はさらに顔を近づけてきた。
「あなたねー、ネットからROMデータをダウンロードしてエミュレータで遊ぶのは違法ですからねー。そんなことをしていると、実機で遊んだときにこのザマになってしまいます。ええ、情けないことです。妹さんも怒りますよ」
男のニンニク臭い口が俺の唇に触れそうになり、その眼鏡の奥の目が虚ろに白濁しているのを認めた瞬間、俺はごめんなさい、と反射的に謝って、飛び跳ねるように席を逃れた。自分で置いたリュックに躓き転びそうになりながら、俺は半狂乱で入り口の近くまで逃げる。動悸がひどい。吐き気がする。ニンニクの臭いが鼻にこびりついている。リュックを両手で抱え込んで息を整えた俺がゲーム機の方を見ると、さっきの男はいつのまにか俺が座っていた席を占領しており、慣れた手つきでゲームを始めていた。音量のつまみをぐいっと回し、とんでもない爆音でゲームを進める。俺の心臓の鼓動が正常になるころには、もうゲームセンターの中にはボス敵の戦闘音楽が鳴り響いていた。
「ありゃあ大したもんだなあ」
急に声をかけられたのでまた心臓が跳ね上がったが、なんのことはない、そこにいたのは上条だった。両替機に寄りかかった上条の姿になにか違和感を覚える。
「き、君も就活?」
「ん。おお。一応な」