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サーガイアの風見鳥

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3.マジックテープ



 果たして、山村は萬田の言うとおりに、普通の男だった。

 飯田橋の喫茶店で落ち合った彼は、鼠色のスーツ姿で、似合わない青フチの眼鏡をかけた、頼りなさそうな中肉中背のサラリーマン風情だった。就職に関わるOB訪問だし、俺も真新しいスーツを着込んで若干の緊張をもって臨んだわけだが、カジュアルな喫茶店に特徴のないサラリーマン、という取り合わせは、幾分か俺を安心させたし、失望させもした。そもそも最初は、彼の勤める会社を見ることが出来ると思っていたのに。簡素なデザインの名刺を受け取った俺は、山村の手が変に白いのだけが気になった。一向に治る気配のない飛蚊症の黒い塊が、彼の手に重なって見える。今朝確認した風向きは、割と良いようだった。

「あ、俺はミロで。あるよね?ミロあるでしょ? ない? ないの? 困るなあ、用意しといてよ。じゃあココアでいいよ。え?冷たいやつだよ。そう。君もそれでいいだろ?」

「え、あ、いや、ぼ、僕は紅茶で……」

「え、そう。ふーん。紅茶だってさ。うん、それでお願い」

 青白い顔の山村は、にやにやしながらこちらをじろじろと見つめている。なんだか居心地が悪くて、数日前から収まらない心臓の違和感がにわかに動悸に変わるのを感じる。冴えない男だが、彼なりにビジネスマンとして俺を値踏みしているつもりだろう。口角を歪める彼の表情は、優越感と不安が入り交じっている。

「ミロがないなんてねぇ。この店初めてなんだけど、だめだったなあ。俺はどうも初見で店を選ぶセンスがなくてね」

「はあ」

 アイスココアと紅茶がバラバラに届いても、山村はくだらない世間話しかしなかった。会社のことはちらっと紹介する程度、職場の様子とか、俺の志望動機とか、そんなことはいっさい口にしない。その割に、どうでもいいことはぺらぺらとよく話す。この男はここになにをしに来たのだろうか。

「君、シューティング結構やるんだろ、高田馬場にいい店あるの知ってるか?」

「話は一応……」

「妹さんにメール返したほうがいいぜ、面倒なことになる前に」

「はあ」

「あの風見鳥はどうかと思うけどねぇ。あれさ、鳥じゃなくて鷹がモチーフなの、知ってたかい?」

「え、知りませんでした」

「知らないで買ったのか。蛮勇というやつだな」

「きょ、恐縮です」

「そういえばさあ、例のミニブログ、君のフレンド周りが揉めてるらしいぜ。やだねぇやかましくて」

「そうなんですか」

「カノジョとは上手くいってるかい」

 カノジョ。彼女。灰色のスポーツブラ。上手くいっているとも。

 山村は終始同じような調子で、世間話を続けた。たまに同じ話題が堂々巡りするので、こちらの時間感覚がおかしくなってきてしまった。俺はただ頷いたり、相槌を打ったりするばかりで、こちらから話す機会がない。もともとOB訪問などやる気はなかったが、さすがにこれでは時間の浪費にもほどがある。

「あの……」

「そろそろ出るか。いや悪いね、俺も仕事抜けて来てるんだ。採用も業務のうちだからね」

 山村はぎこちないウィンクなどして、俺の言葉を遮ってから、一度も手をつけていなかったアイスココアをぐびっと一気に喉に流し込んで、立ち上がった。なんと言葉を返したものか、俺も仕方なく立ち上がる。レジに向かいつつ彼が取り出したのは、黒い財布だった。安っぽいナイロン製で、どうやらマジックテープ式のようだ。銀色のチェーンがだらりと伸びていて、彼のベルトにまでつながっている。えらく子どもっぽい財布だなあ、と思って見ていると、彼はやたら大きな音をたててマジックテープ式の財布を開け、そして手を滑らせて、財布を落としてしまった……いや、チェーンのおかげで財布そのものは地面に落ちない。ぶらぶらとぶら下がっている。ただ、小銭が床にこぼれ落ちてしまった。十円玉が多い気がする。

 山村はただ立っていた。拾うそぶりどころか、ぶらぶらと揺れる財布にすら手をつけなかった。小銭が散らばっている。財布の揺れは、次第に収まってくる。その揺れを見ていると、なんだか気分が悪くなった。レジ打ちの女の子が、怪訝そうな顔で床に散らばった小銭をのぞき込んだ。俺たちの後ろに並んだ客たちも、不快な表情で小銭と俺の顔を見比べている。俺は少し慌てて山村の顔を見たが、山村は俺の顔をみていなかった。レジ打ち店員の胸のあたりを無遠慮にじろじろと睨みつけているのだった。そうしている間にも、周囲の視線が俺に集中する。俺に突き刺さる。冷や汗が出る。動悸がする。もう一度山村を見ると、さっきより露骨に店員の胸の方を見つめており、ひとつ、ふたつ、となにか数えているようだ。その視線の先を追って店員の方を見ると、大きな胸の曲線に張り付いた黒いボタンを、指でひとつ、ふたつ、とコケティッシュな手つきでなぞっているようだった。

 俺はせき立てられるようにしゃがみ込み、ちらばった小銭を拾いだした。手が汗でべたつく。小銭は四方八方に散らばっており、全部拾い集めるのは容易ではなかった。一枚一枚拾い、左手に溜め、床を舐めて、しばらく身体を動かす。焦ることもないのに、俺の手つきは乱暴になり、小銭が何度か手からこぼれ落ちた。目頭がいやに熱くなってきた。俺が小銭をこぼすたびに、周囲から嘆息が聞こえる。

 なんとか、すべて拾い終えた。腰が少し痛い。俺は震える左手を山村に差し出した。山村は店員の胸から目を離し、こちらを見ると、

「どうも」

 とだけ言って、小銭を鷲掴みにし、拾い上げた財布に突っ込んだ。胸の大きなレジ打ちの店員は、いつのまにかボタンを二つほど外している。変な達成感を覚えた自分に気分が悪くなった。


 ぱらぱらと降り始めた小雨から逃げるように、俺はゲームセンターに駆け込んだ。飯田橋から地下鉄に乗り換えて数駅、高田馬場駅裏手の路地の途中の、真新しいゲームセンターだ。高田馬場は学生街だから、新旧問わず飲食店やゲームセンター、パチンコ屋といった娯楽施設には事欠かない。この路地の曲がり角にも一軒、古びたゲームセンターがあるし、ここから歩いて行ける距離にもまだ二軒ほどゲームセンターがある。だが、ここは特別な場所だった。老舗ではないが、往年のレトロゲームを多く設置していることで有名なのだ。特に、シューティングゲームに関して言えば、首都圏でもここでしか遊べないような貴重な名作がずらりと並んでおり、俗にシューターと呼ばれるコアゲーマーたちには定評があった。俺がエミュレータで動かしているゲームも、そのオリジナルがこの店にはある。とはいえ、目にするのはネットコミュニティの噂ばかりで、実際に足を踏み入れるのは初めてだ。
作品名:サーガイアの風見鳥 作家名:不見湍