小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

サーガイアの風見鳥

INDEX|3ページ/10ページ|

次のページ前のページ
 

 油汚れの目立つマウスを握りしめ、ディスプレーに向かう。カーソルを動かして、無難な名前を付けたフォルダを開く。面倒なので、フォルダを隠すような設定は使っていない。フォルダの中には、数十の種類もバラバラなファイルと、さらにいくつかのフォルダがある。俺はさらにフォルダを潜る。しまいにはお目当てのファイルに行き着くわけだ……意味のない数字とアルファベットの羅列が名前になっている、ひとつの動画ファイル。そのカラフルなアイコンにカーソルを合わせてダブルクリックすると、じこじことコンピュータが唸って、動画再生ソフトが起動する。動画の再生はすぐに始まった。四角い動画表示領域は十分な大きさがあるが、そのほとんどは真っ暗で、何かがまともに映っているのは、中心に裂けた楕円形の部分だけだ。映っているのは、個人の家の脱衣場、だと思うが、画質は悪いし視界も悪いのではっきりとはわからない。数秒もすると、狭い画面に黒い長髪の少女が映り込む。えんじ色のジャージを着た、中学生くらいの少女だ。一瞬だけ顔が見えるが、画質のせいで個人の特定は難しいだろう。それなりに可愛い雰囲気はある。少女の姿は画面いっぱいに広がり、顔が隠れ、丸みを帯び始めた身体が画面を覆い尽くしたところで静止する。それからしばらく少女は身をよじったり顔に手をやったりして、どうやら鏡を見ているらしいが、それも飽きたのか、おもむろにジャージを脱ぎ始める。荒い画質のせいで、少女が激しく腕を動かすたびに画像が乱れ、人間だかなんだか分からなくなってしまう。少女がジャージを脱ぎ終えると、意外に白い肌と、膨らみかけた胸を支える灰色の色気のないスポーツブラが露わになった。躊躇いも媚びもなく、少女は小さな胸を揺らすと、すぐにズボンの方に取りかかる。前かがみ。さすがに胸の谷間までは見えない。下着姿の少女。体型も下着の色もかたちも色気などない。振る舞いも素っ気ない。いつにも増して熱くなる。下半身。盗撮動画。Webで拾った、誰とも知らぬ少女の姿。匿名の俺の彼女。

 俺はいつものように性器をこすり、少女もいつものように下着を脱ぎにかかったのだが、何か違和感がある。食い入るように画面に注視していた俺は、動画を止めてしばし目頭を揉んだり、瞬きをしてみたりした。さっきから続いている胸の違和感か? 違う。動画の方の違和感か……と思って少し画面から身を離し、視線を動かしてみる。当たりを見回す。万年床に放り投げたままの携帯電話が、ちかちかと緑色の光を点滅させているのが見える。と、視界の端がなにかがさっと動いた。虫でも飛んでいるのか……それを目で追う。黒いなにかはしかし、まだ同じ場所にいる。俺が目玉を動かすたびに素早く動くが、俺の視界から居なくなることはない。ははぁ、と、俺は納得した。飛蚊症というやつだ。目が疲れてくると、こうやって視界のはじに蚊のような黒い固まりが見える、と聞いたことがある。視力には自信のある俺だが、さすがに最近は目を酷使し過ぎたかも知れない……と、今更ながら反省した。しかし、こうして自分でなってみると、黒い固まりは蚊には見えないな。最初は動いていたから虫かと思ったが、こうやってまじまじと……見るのは大変だが……注視してみると、むしろ黒いゴミかホクロのようだ。それが、ディスプレイの中に不自然な姿勢で静止している少女の白い肌と重なる。

 萎えた。情欲も、性器も、少女への恋に似た感情も、みんな萎えた。性器がしなびた唐辛子みたいに見える。しわしわで、縮んだら皮を被って、変に黒ずんでいて、さっきまで快感だった、今ではもどかしい気だるさに近い感触が、が中途半端にじんじんと、そこに貯まっている。就職活動に行き詰まり、しなびた唐辛子を股間にぶら下げて机に向かい、隠し撮りされた少女に欲情する自分にぞっとして、萎えてしまった。飛蚊症になって、夜更かしして、一晩ぼーっとして、寝もせずに、心臓に違和感を抱えてまで、朝日を浴びて俺はオナニーをしているのだと考えるのは、愉快なことではなかった。俺は動画再生ソフトを閉じ、寝間着のズボンをはき直す。腿がよけいに冷えてしまった。そのまま動画ファイルを削除してやろうと思ったが、なにか気が咎めてやめた。コンピュータをシャットダウンして、乱暴に万年床へと身を投げた。放ってあった携帯電話が背骨に当たり、思わず呻いてしまった。

「ぁtこιの木勹口」

 ……? なんだ? 痛みも相まって、頭がよく働いていない。頭の中には文字列が読み込まれ、浮かんでいるが、ぐるぐると回るばかりで、意味が読み込めない。急に横になったからか、しばし目が眩んでいた。

「見た!?」

 なにをだろうか。困ったことに、俺はあまり記憶力はよくない。寝転がった俺は妹のことを思い起こしてみた。しばらく会っていない。少し前には、実は近くまで遊びに来ていたのだ、と電話で教えられたが、直接俺に会いに来ることはなかった。千葉の実家に住んでいて、今は高校生になっているだろうか。最近髪を染めることを覚えたらしいが、俺が一人暮らしを始める前から、だんだんと色気付き初めていた気はする。いつも唇が乾燥してひび割れていたが、リップクリームを塗ると存外にぷっくりと柔らかくなるのだった。また湯上がり直後にも唇はふっくらしていて、それだけでずいぶんと印象が違った。妹の身体は、痩せすぎず太りすぎず、ちょうどいい肉感が俺好みで、後ろにまとめた毛が少し跳ねたうなじの様子や、柔らかそうな耳のかたちも、たどたどしげだったしゃべり方も、指の白さも、あらゆる要素が俺の心を惹いたが、唯一あの目袋だけは好きになれなかった。どんな表情をしていても、涙に濡れたような、陰鬱な感じが嫌だった。眼輪筋というやつだろうか、アイシャドーなどしていなくても、少し黒っぽく見えた。その昔、世界史を習いたてだった兄が「ユダヤ人みたいだ」と訳の分からないことを言い立てて妹を混乱させていたことを思い出す。

 そのEメールの差出人は、妹だった。妹が携帯電話でメールを送ってくるのは珍しい。というより、ひょっとしたら初めてかもしれない。去年までは、時折電話をしてきてくれていたが、最近はそれも途絶えて久しかった。妹のメールの文面は短く、けばけばしい絵文字が踊っていて、俺の中の妹の印象とは重ならない。じっと小さなディスプレイに表示された文字のドットをにらんでいると、ふちが染みてにじんでいくような錯覚にとらわれた。心臓の違和感はいよいよ酷くなり、動悸が再びはじまる。なんの文句も思いつかなかった俺は妹に返信せず、携帯電話を投げ捨てて布団を深々とかぶった。

作品名:サーガイアの風見鳥 作家名:不見湍