イカズチの男
「こーどー」
音川が例によって例の如く、間の抜けた発音で最終目的地到着を告げた。
建物の中は完全な吹き抜けだ。床から馬鹿高い天井までの間に五階分、観客席が付いている。もっともその役割を果たすのは三階までで、四階より上は催し物から遠すぎてあまり意味がない。観客席の背中、つまり舞台側以外の壁は全面分厚い磨りガラスの窓になっていて、演劇をやる時は黒い緞帳を下げる。あれムシの卵くっついてるんだよな。
「駅はどっちだ?」
「こっち」
他愛もない、深く考えるとかなりくだらない俺達のショーだった。
単純なはなし。
緞帳の上げ下げを調節して、あの時見た『巨大テトリス』を再現しようというのだ。それが俺たちが今日ここに来た理由。俺たちがあの嵐の中で約束したことだ。
(超くだらないね。暇だね俺ら)
スニーカーのまま体育館を踏む。足の下で、キュッとゴム底の鳴る音。剥がれかけたバスケットコートの青いテーピング。俺は天井を見上げた。
ショーだ。俺たちはこれからショーをやる。みんな見ていけよ。各駅から降りるわれらが西口から。
置いてあった移動式黒板に完成図を描いて、俺達はそれを元に走り回って手分けして緞帳を下げた。
やって何になるかって、なんにもならない。
無償で、楽しむために動き回ったのは久しぶりだった。
文化祭みたい。
中学三年のクラスメイトに、鬼のような学級委員長がいた。なんでいるんだろうなああいう奴。文化祭の手伝いをサボる奴らを徹底的に追い回していた。俺もその常連だった。
一生懸命楽しむことがやたらダサく見えて、斜に構えることが『カッコイイ』と同義だった。
しかし委員長に尻叩かれてやってみたら、十五歳はいつの間にか夢中になっていた。
緞帳を引くと、カーテンレールから特大の綿ぼこりが舞い落ちてきて、俺はヒイ、とそれを避けた。
そういえば、委員長には怒鳴られた怒鳴られた。思わず苦笑が漏れた。どうして記憶っていうのは、一度溢れ出すと止まらないのだろう。
こらぁー、トヨエツー
「こらぁー。サボッてんじゃねえぞおエツシぃ!」
音川が目敏くも俺の動きが止まっていることに気づき、四階から声を投げてきた。反射的に逃げろ、と思った。既視感。鮮やかに、過去と現在の映像が頭の中で重なった。
音川美奈子。
三年一組の鬼学級委員長。
■
俺はつつがなく自分の分担を終えて、音川よりも早く下に戻った。
ジャンケンにより公平に、勝った俺が二階と三階、負けた音川が四階と五階を担当したのだから当たり前。しかし音川は下りてこなかった。名を呼んでみたが返事もない。
最近は昼でも学校だって物騒だ。
俺は居ても立ってもいられなくなった。
階段に繋がる舞台脇の扉まで突進した。鉄の扉に手を掛け引くと、向こうから押す力を感じた。二つの力の反動と油断で、俺はバランスを崩して模範的に転んでいた。
「何やってんのエツシ」
心底天然に間抜けた音川の声がした。もうなにもかもに脱力して、俺は蹲ったまま言葉もなかった。なんとか顔を持ち上げると、音川は頭一つ分小さなジャージ姿の少女を連れて、俺を見ていた。
「お前こそ何やってんの」
「屋上で、発見ののち保護」
屋上なんて講堂にはない。屋根だ。こいついったい何処まで登ってるんだ。
「少し先輩として、アドバイスをしてみた。そしたら、帰るって言うから一緒に下りてきた」
いい加減寒かったよなぁ、とへらへらと少女に笑いかける。見れば唇は紫だし爪は死んでいるようだし、とにかく不健康そうに見えた。
「男なら上着くらい貸せよ」
俺が着ていたコートを脱いで女の子に着せると、音川は「ああ」と声を上げて、それから面白そうに笑った。
「カッコイイっすね」
お前なんかまだまだだ。