優しい花
2.
親衛隊隊長様が直々に平凡主人公の元に訪れるのはいつか。それは制裁前の忠告というやつである。例に漏れず、静夏先輩もその日『会長にたかる恥知らずな平凡』という不名誉な呼称を賜った僕に忠告しに来た。しかし、タイミングが良いのか悪いのかその時、僕は今日と同じようにヤツに捕まっていた。
思い込みというものは恐ろしいもので、当時の静夏先輩含め親衛隊諸君にはこの変態の横暴すら、僕がわざとそうさせているように見えるらしい。目の当たりにした静夏先輩は激昂して、会長に叫んだ。
「何故僕がいるのにそんな平凡に構うんですか?!そんなヤツ秀端様に全然相応しくない!」
当時はかわいこぶっていた静夏先輩にしては珍しいことだった。しかし、静夏先輩の疑問は尤もだ。僕も知りたい。
僕は自慢じゃないが自慢できるところはない。容姿、頭脳、運動神経、家柄、皆平凡。この学園に在籍しているのも棚から牡丹餅である。至って平和な家庭で育ったから人生経験も浅い。そのため、気の利いた台詞なども言えないし、語彙すら正直少ない。そんな僕の一体どこにこんな風に彼を執着させる要素があるのか。もしかしたら、僕の知らない僕の魅力というものがあったのだろうか。自慢のない僕は、抵抗しつつも少しだけ彼の答えに期待をしていた。
因みにこの時も遠巻きに傍観していたルームメイトに、似たようなことを訊ねたことがある。すると彼は、
「俺さ、強気な子が好みなんだよね〜」
と答えた。
ヘタレめが。他を当たれ。と正直思ったが、彼との健全な友情の為に暴言は吐かないでおいた。
さて、ではこの変態の答えは如何様なものだったのか。正解はコレ。
「あぁ?んなの体に決まってんだろ。性格も顔も大したことないが、コイツはきっと名器だぜ」
その瞬間僕の時間は止まった。槍杖様は見事に僕の人格及び容姿を完全否定してくれた上に、堂々とダッチワイフ宣言をブチかましてくれた。僕はもう、生きるのを止めても良いだろうか。あそこで何を妄想したのか、俯いて鼻を押さえているヘタレ野郎を道連れに。
僕は脱力して、変態の腕にしなだれた。それを良いことにヤツはワイシャツの上から、僕のない乳を揉んだり、尻の割れ目をなぞったりしてくる。後にも先にもヤツにここまで触らせてやったのはこの時のみである。次は絶対にない。徐々に荒くなってきた背後の鼻息を感じながら、僕はすっかり灰になっていた。
「…秀端様、敬君を放しなさい」
親衛隊隊長様からその言葉が発せられた時、僕は自分の耳を疑った。彼はいつでも槍杖様に従順で、ですます口調を崩さず、彼に口答えをしたことなどなかったのだ。
「は?何言ってんだ、静夏」
「敬君を、放しなさい」
強く腕を引かれ、少々小さく頼りない胸に抱き込まれる。突然の事態に僕の思考はストップ。どうやらヘタレの鼻血も止まったようだ。
「テメェ、何しやがる」
怒気を含んだ目で槍杖様が静夏先輩を睨む。飼い犬に手を噛まれた気分なのだろう。
「そんなに睨んでも僕には効きません。それに、敬君にはこれ以上詰め寄っても無駄です。貴方の部屋でセフレが待ってますから、行きなさい。貴方のお気に入りの蒔田君ですよ」
自分に負けず鋭い視線を返す静夏先輩に、変態は少々怯んだようだ。手のひらを返した様な彼の態度に、調子が狂ったのかもしれない。舌打ちをすると、自室に向かって歩き出した。
「敬〜、大丈夫かぁ?」
思えばこの時からヘタレのこの台詞はテンプレート化していたのか。モテる癖にコイツも気の利いた台詞は言えないのだな。ヘタレは未だ遠巻きにこちらを見ている。ヤツの鼻の周り及び両手は不愉快にも血だらけである。
僕は静夏先輩の腕の中で、動けないままでいた。何故こんな状況に陥っているのか。今僕を抱きしめいるのは、僕に忠告をしに来た親衛隊隊長殿。過去に不要に会長に近づいた者を、退学にまで追いやったという噂もあった。つまり、僕にとっては一番関わりたくない相手である。その証拠にあのヘタレは近づいてこない。なのに、彼の手は僕の背を優しく撫でてくれている。
正直、さっき変態に撫で回された感触が残っていたので気持ちが悪かった。それを彼が優しく慰めてくれているようで、僕は涙腺が今にも決壊しそうだった。
「ほら、秀端様は追っ払ったからもう大丈夫だよ」
「なん、で…」
僕はいよいよ涙声で静夏先輩に訊ねた。
「あんな醜態を見ちゃあね。百年の恋も冷めてしまうよ」
彼は肩を竦めて苦笑しながら言った。静夏先輩は熱狂的な槍杖 秀端信者だ。だからさっきの場面を目の当たりにしても、どうせ僕に対する風当たりは強くなるものと思っていた。槍杖様信者にとって僕は敵であり、排除すべき存在なのだから。例え変態の言葉で僕が傷つこうと、それは変わらないのだと諦めていた。
それにみんな、僕のことを一つの記号のように行田 敬とフルネームで呼び捨てる。行田 敬がまた会長に媚びただの、行田 敬は平凡の癖に図に乗っているだの、何だのと言って敵視する。僕の周囲の友人は図らずも顔がよかったため、そこにもいちゃもんを付けられた。
ポジティブだからといって、考えないわけではない。悩みすぎて鬱屈しないためには何を切り捨てればいいのか考えて、敢えて悩まないようにしてるんだ。それは疲れるし、時たま本当に辛い。
「泣きたかったら泣いてもいいよ。敬君、自分より背の低い男は不服かも知れないけど、君は年下なんだから僕に甘えたっていいんだよ」
涙の防波堤は鉄砲水で決壊した。いつもは甘ったるく会長を呼ぶ声が、今は優しく大人びた声で僕の名を呼んでくれるから、嬉しくて切なくて、僕はいつまでも静夏先輩の肩口を涙で濡らしてしまった。
それ以来、静夏先輩と僕とは強い信頼の絆で結ばれた。
さて、話は現在に戻る。