【小さな幸せ10のお題】「手を繋ごう」
――な!?
竜は両手を振り上げて飛び退いた。
――泣いた!?最強最悪の性悪が?
一賀の瞳は瞬きをしてもう一度小さな雫をこぼした。
「ああ、よかった、生きてる」
そしてその唇は意外な言葉を吐き出した。
にこりと笑顔を作って竜に向ける。
涙はこぼれて落ちたものがすべてだったようだ。
「生きてる、やあらへんやろ。何であないなこと」
――自殺未遂やと?最強最悪の日栄一賀が?――たく、何やっちゅうねん。
竜は自分の思っている最強最悪の男のイメージと目の前の状況とのギャップにどぎまぎしていた。
「よくあることだよ。体が勝手に――」
一賀は笑顔のまま首を傾けた。
「ようて…こないなことようあってたまるかい!!」
竜はぎゅうっと拳を握りしめた。
「季節の変わり目にはよくあってね。でも、怪我一つしたことないよ」
猫っかぶりの笑顔。
季節の変わり目――――喘息の発作か。
――あんたみたいな根性悪(こんじょうわる)がそないなことくらいで――。
いやそんなことよりも。
「当たり前や。あんたに傷一つでもついたら、あいつらどないすんねや。――銀狐(あいつら)に断りもなく」
銀狐(ぎんぎつね)――相原裕紀(あいはらひろのり)と相原浩己(ひろき)は日栄一賀の盾だ。一賀を護るためならおそらく命すら懸けるだろう。そんな者に側にいることを許しておいて自殺未遂など。
くすり。
一賀が声を立てて笑った。
「緒方はホントにお人好しだなあ」
決して好いてはいない先輩を助けたのは可愛い後輩のため?
いや、例え全く知らない誰かでも竜は助けるのだ。それだけのこと。
彼だから助けたわけではないし、彼だったからと言って助けないなどあり得ない。
――優しいなあ。
後先考えない優しさだと思う。
――鬱陶しい。
独りの時は楽だった。相手のことなど考えなくてもよかったから。自分のことだけ考えていればそれでよかったから。今でも一賀はそう思う。独りは楽だ。
独りは楽だ。
「あんたみたいな性悪やのうて結構や」
緒方竜は、いつものようにため息混じりにそう言って、そして、一賀の方へ手を差し伸べた。
――手?
無意識にその手を取る。体格に見合った大きな手。
作品名:【小さな幸せ10のお題】「手を繋ごう」 作家名:井沢さと