薊色花伝
* * *
「これ、なんですけど」
三十代くらいの女性が持ってきたのは一枚の古ぼけた写真だった。どうやら祖父の紹介で持ち込まれた仕事らしい。常葉が応対しているのを、後ろからそっと覗き込む。
写真の中央には男性が一人写っていた。モノクロだからいくらか判別し辛いけれど、何処かの洋館を背後にした普通の記念写真のようだ。その一角を指差しながら、依頼主の女性は怯えたように囁く。
「――ここに、こっちを見ている女性の顔が、あるように見えるんです」
男性の後ろ、屋敷の裏の森と外壁の境。一見何ともないように見える写真の右端だった。
まるで口にするのも憚られるといったふうに、肩を竦めて目を逸らしてしまう。あたしと常葉は写真の表面をじっと見る。確かに、壁の影になっているところに人影があるようにも見える。しかし言われないと気付かないほどに曖昧で、残念ながらあたしには性別までは判断できなかった。
けれど、この写真。なんだかおかしい。
「お願いできますか?」
常葉は暫く写真を見分して、わずかに眉をひそめた。それからすぐ穏やかに微笑む。
「分かりました。こちらでしっかり御焚き上げしておきます」
女性は憑き物でも落ちたような晴れやかな表情で薊堂をあとにした。何度も何度も頭を下げる姿と、丁寧に会釈を返す常葉の様子を後ろから窺った。
客人の帰った応接室。温くなった緑茶を片付ける青年に、あたしは違和感が拭えずに尋ねる。
「これって本物?」
テーブルの上に置きっ放しの袱紗。その中に収められたままの一枚の写真。
常葉は軽く頭を振った。
「違うね。昔の写真は陰影がはっきりするから、ただの陰が妙な形に見えやすいんだ。それに人間の脳は、三点あれば人の顔と認識する仕組みになってる」
あたしは彼の言葉に唖然とした。
「本物じゃないのに引き受けるの? それじゃ詐欺じゃない」
「だから料金は安いだろう?」
表情を変えることもない。多分、こういった依頼も少なくないのだろう。勿論あたしとしては『本物の』依頼が沢山来られても嬉しいことなんてないのだけれど。
ぼんやりとしていると、常葉は新しいお茶を淹れ直してくれた。
「それにこういうのは、映っているものよりも依頼主の不安を取り除くことのほうが大切だから」
ふいにその横顔を見詰める。かすかに微笑んだ口元、瞳。それはどこか誇らしげな色をしている。
ああそうか、彼はこの仕事に自信を持っているんだ。
もしかしたら、彼がこの場所に留まる理由もそこにあるのかもしれない。
「って、先代の受け売りだけどね」
あたしの視線に気付いてか、彼はほんの少しだけ照れたように眉を寄せた。