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薊色花伝

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  * * *

 目を開けば燦々と差し込む陽の光。
 ぼんやりと身体を起こして、あたしは自分のことについて考える。

 自分の部屋じゃ、ない。それに、見下ろす四肢は何故だか制服姿のまま。
 改めて辺りを確かめてみる。オフホワイトの壁に、真鍮柵のベッド。サイドテーブルの上にはガラスのランプ。真っ白のクラシカルな据え置き電話。カーテンとテレビは新しいデザインのものだけれど、そのどれも馴染んだものではない。
 それからやっと見慣れたもの――足元に投げ出したスポーツバッグを見て、やっと何がどうなっているのかを理解する。

 そうか。あたしは薊堂に来たんだ。

 売り言葉に買い言葉で、なんとか薊堂を引き継ぐことになったのは昨日の出来事。
 それから夕方までのことを、ゆっくりと思い出していく。

 見渡した部屋は寝泊り用の三階の住居スペース。洋風の六畳間がひとつと給湯室並のシンク、年代モノの割にしっかりしたバスルームがある位だけれど、広さとしては都内の平均的なアパートと大差ない。むしろタダ同然で住まわせてもらうのだから申し分ない限りだった。
 半開きのカーテンを開け放して、真っ青な空を見上げる。南向きの窓はちょうど立ち並ぶ建築物の合間を縫って太陽を提供してくれる。充分眠ったはずなのに、目が痛い。
 これからあたしはここを住処にして生活していく。学校に通うのもここからだ。ちなみに実家から高校までは電車で1時間半くらい。通えない距離でもないかもしれないけれど、通いたくない理由があるのだから仕方無い。それに高校には断然こっちのほうが近い。
 やっと一歩を踏み出した充足感。やっと一歩近づけた安心感。
 それを春の日差しと共に吸い込む。

 昨日は確か、トキワという薊堂社員兼管理者と話をつけて、その足でこの部屋に来たんだった。まだ日が暮れ始めたばかりだというのに疲労が酷くて、ドアを閉めた途端に眠気が風船のように膨らんだ。
 初めて入ったこの部屋は、祖父が仮眠用に使っていたのだとか。
 長いこと使われていなかった割に綺麗なのはやはり常葉のお陰だろうか。あとでお礼を言っておいた方がいいかな。
 そんなふうに考えながら制服のままベッドに突っ伏して……そこからの記憶が無かった。
 つまりは、そのまま眠ってしまったというわけ。

 社長就任初日。けれど今日は日曜日だし、当分新学期も始まらないのですることも無かった。時計を見れば7時で、なんとなく身支度をする。髪を梳かしながら窓から下を眺めれば、裏の小さな庭に祠のようなものが見えた。昨日は気づかなかったけれど土地の守り神だろうか。あとでちゃんとお参りしておかないと。
 制服はシワだらけにしてしまったので、持ってきた着替えに袖を通す。部屋着のつもりで持ってきたからいまいち締りがない。荷物が届くまでは我慢かな。
 木製のドアを開けて廊下へ。エントランスホールは三階まで吹き抜けになっていて階下が見下ろせる。全く変わった建物だわ。疑洋風建築とか聞いていたけど、内側はそれとも少し違うような。明治からある建物らしいけれど幾度か手も加えられているんだろう。
 そんな風に二階へ降りていくと――既に彼の姿が在った。

「あ、翠仙ちゃん。お早う」

 階段の手摺を磨いていた『常葉』が振り返る。昨日と変わらない爽やかさがあたしを迎える。
「…早いのね」
「言っただろう? すぐ近所に家があるって」
 管理者とか社員とか良く分からないけれど、彼が仕事熱心なのはよく分かった。
 だいたい、お父さんがこの店を放り出してからは仕事なんてほとんど無かったはずなのだ。それとも、あたしが始めると言ったから自分の業務を再開しているのだろうか?もしかして、毎日こうして掃除をしていたとか――まさかね。
作品名:薊色花伝 作家名:篠宮あさと