薊色花伝
静かだった室内の空気を、あたしの声が震わせる。それに気がついたのか常葉が振り返る。
「実は、どうせいつか無くなってしまうのならあたしがやってみないかって言われて、ここに来たの」
そこまで一気に口にすると、また部屋の中が静かになった。互いの視線が交差する。言ってしまった手前、逸らすことが出来なくて彼の行動を待った。
すると常葉は、ふぅん、と分かったのか分からないのかが判らない反応をした。軽く頷いて、テーブルランプの角度を直す。ただ、それだけ。
「なにか言ったらどう?」
「なにかって?」
今度は振り向かないままで声だけが返される。動揺ひとつ窺えない。あたしのほうが不安になってしまう。
「急にやってきた小娘が、今日から社長になりますって言ってるのよ。嫌じゃないの? 邪魔じゃないの?」
まくし立てる様に言う。何事もない返答。
「だって、桂一朗さんが決めたことなんだろう? 僕は社員だから、異存は無いよ」
変な奴だ。今はっきりと確信した。
どうしてそこまで祖父を信用出来るのだろう。どうしてそこまで無頓着を貫けるのだろうか。今のあたしの一言は、今までの彼の平穏を大破させる衝撃だったはずなのに。
唖然としていると、一通り役目を終えたのか、彼は再びソファへと戻ってきた。
目が合う。ああ、今気付いた。陽射しの下だと彼の瞳は琥珀のような輝きをさせる。その中に少し、気迫のようなものを感じて。
「もっとも、前社長……キミのお父さんのこともあるから、『やれるものなら』としか言いようがないけれど」
言葉には目に見えて揶揄が込められていた。祖父を先代と呼び、父のことを前社長と呼ぶ理由をあたしは知っている。
「あたしと父親は違う」
「うん。だと嬉しいね」
相変わらず笑顔にプレッシャーが上塗られている。爽やかさだけでない、何か強い色だ。
「キミにやる気があるのなら、僕は全力で手助けさせてもらう。キミが『馨さん』と同じなら、僕は黙って潰れるのを待つだけだ。これでいい?」
それは警告だった。あたしに対する挑戦状と言ってもいい。
彼は小娘が侵入したのを見逃したわけでも赦したわけでもなかった。侵入するに見合った存在なのかを見極めようとしていたのだ。
しかもそれらは全て、向こうの余裕の上に成り立っている。
彼は言う。『続けられるだけの度量があるのなら』と。
そうと分かれば、こちらだって遠慮する由縁はない。あたしがこの場所に居続けるための条件が、彼を納得させればいいということならば。
「もちろんよ」
あたしは深く頷いた。もうこの重い鞄を背負って、自宅へ引き返すつもりは無いのだ。あたしはあたしであって、迷子の少女ではない。
決断を出来るくらいには、一歩でも祖父に近付きたい。
この日から、浅見翠仙の『社長アルバイト』は開始された。