薊色花伝
常葉に従って、あたしと彼は揃って社の前に立った。
あたしの腕の中には牡丹と迦陵頻伽の描かれた鏡。開け放たれた扉の内側には、蝶の紋が入る柄の刀。
まるで何年も何十年も前からそこにあったかのように、静かに。
一瞬しか見ていないけれど、この扉を開けたのは常葉だ。鳥居をくぐった瞬間に広がった闇――違う。あの時鳥居の内側は確かに闇の中にあった。別の時間なのか、別の次元なのか、幻想か、確かに闇だったのだ。彼はその中に平然と立っていて、あたしが前のように掻き消えずに居られたのも彼のお陰。いまはそれを理解していた。
目を閉じればあの蒼い光がちらついている。
鮮やかな、彼を包む炎。見覚えのある強い色。
「このふたつは番(つがい)だったんだ」
常葉は、穏やかに低い声で呟く。その指の先を黙って眺める。
「けれどふたつとも、信仰という光から遠ざかる程に力が弱まってしまった。鏡に至っては殆ど残っていない」
「探していたのは、刀のほうね」
「そうだね。最後の力を振り絞って、鏡を探していた」
ひやりとしたその表に触れてみる。白銅の輝きは褪せていないように見えるのに、物の魂は褪せてしまったのだろうか。すぐ傍の声が哀しげに響く。
「戻してももう永くはないだろう。だけどそれでも、彼らは共に最期を迎えたかった」
ああ、だから『返して』だったのね。あたしは嘆息する。
此処に閉じ篭ったのは、異常を知らせるためだったのだと常葉が教えてくれる。まるで見聞きしたかのように。いいえ、事実見聞きしたのだろう。この御神体の魂から。
開かない扉の内に何かが或るのだと、この社を守るはずの華崎家へ発した警鐘だった。自身の魂を削りながら、かたわれを探しながら。そしてやってきたのが、あたしたち薊堂の面子だった。
一瞬でも一緒に居たいから、愛しいものを探す。
待ち侘びるものが、無だとしても。
あたしは白銅鏡を三足の鏡台に納めた。その刀に寄り添うように。途端にふうっと涼しげな風が抜ける。髪を揺らすその夕風が、まるで安堵の溜息のように感じられた。
「祝詞は全部覚えている?」
頷けば、常葉が鷹揚と微笑む。
「じゃあ、納めてあげてくれないかな」
彼は数歩下がり、あたしの視界から外れる。今対峙するのは社。ひいては刀と鏡。夕闇の迫る空の下には、ただそれだけ。
目を閉じて、大きく息を吸う。しなやかな森の気配が全身に渡る。心をカラにするために、背後に居るはずの彼を振り返る。
最後に、ひとつだけを尋ねたくて。
「それで、貴方は誰なの」
見守っていたらしい彼は、一瞬あたしの視線に怪訝そうな表情を浮かべた。それから、その瞳を穏やかに揺らめかせて呟いた。
「『トキワギツネ』」
耳慣れない言葉。そうして微笑む。
その顔は、馴染んだ表情でしかないはずなのに。
「狐だよ」
「……やっぱり」
そう返すのがやっとだった。