薊色花伝
「まいったなぁ。降参だ」
ゆっくりと呼吸を四回数えた頃、彼がやっと嘆息した。
息を潜めていた森の木々たちが途端にざわめきを取り戻した。まるで泡が弾けたように、夕暮れの足が遠のいている。掠れた青色の空に羽ばたきが通り過ぎる。取り巻く気配が動き始めたのが判った。
「僕も随分人間らしくなったと思ってたけど、まだ理解出来ていないようだね」
それから大袈裟に髪を掻く。諦めにも似た、それでいて晴れやかな笑み。悔しそうにも嬉しそうにも見える。
「そうだよ。僕は人間じゃない。そればかりか、キミの御祖父さんや曾御祖父さんの何倍も生きているモノだ」
あたしはやっと肩の力を抜いた。いつのまにか固く抱えてしまっていた鏡をそっと放して、丁寧に抱え直す。
常葉の言葉に意外性はもうなかった。多分、予感していた答えだったから。
人間ではなくて、何倍も生きているもの。ヒトの持ち合わせない力を持ち、操るもの。それが簡単に心の欠けていた部分にかちりと当てはまる。そして思い返してみればあれもこれも怪しい所が多い。
「いつから――は、聞く必要がないね。いつ、確信したの?」
返された視線を、ため息を堪えながら受け流す。
「変だな、と思ったのは何度もあったわ。確信したのは、さっき鳥居を潜って、昨日の夢を思い出した瞬間に。……隠す必要なんて感じていなかったでしょう」
「それもバレてたか」
ちらりと笑って、悪びれることもなく。
本当にあたしは必要なかった。彼には最初から全て見えていて、何をすればいいのか分かっていた。ただし当初と異なっているのは、それを成立させたのは仕事で養った経験ではなくて、元来の彼が持ち合わせていた力に因るということ。
「どうして薊堂にいるのか、聞いてもいい?」
「うーん、なんでだろう」
常葉は一瞬困ったように空を見上げた。正体を知った後でも、こうして表情や気配から感じるものに変化はない。普通に話している分には暢気な好青年だ。
「単に居心地がいいからかもね。勿論、桂一朗も僕のことは知っているよ。今までの浅見家の主は皆伝え聞くことになってる。知らないのは、向き合おうとしなかったキミのお父さんくらいだ」
最初はキミの祖先に恩があったからだけど、今はもう居ないしね、小さく付け加えた瞳が西日に染まる。まるで金色のように輝いて。
やがて彼はあたしの方へ手を伸ばした。怪訝に見上げる表情に気づいたのか、苦く笑う。
「とりあえず、この依頼を終わらせようか」