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薊色花伝

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7.常葉


 一瞬の、ほんの一瞬の静寂。それでも彼の気配に変化はない。
 相変わらず何を考えているか分からない穏やかな瞳。その微笑が、今はやけに鋭く見える。

「どうして、そう思うのかな」
 返答の代わりに常葉は薄く笑う。まるで冗談に付き合ってくれているような顔が無性に気に食わなかった。
 けれど、あたしに引き下がる気持ちは無い。
「誤魔化したってダメよ。お父さんを騙せても、あたしには通用しない」
 突きつけても彼の柔らかい目元さえ変わらない。けれど、動揺さえないということは、彼自身も予期していたこと。あるいは、待ち構えていたこと。
 あたしは深く深く、息を吸う。
 怖くはなかった。後ろめたさもない。だって、変でしょう。家主さえ知らないことを口にしたり、祝詞の力が及ばなかったその絶妙なタイミングで風が吹いたり。石段から落ちかけたあたしを――ううん。闇の中に紛れた私を助け出してくれたことだって。
 そうだ。あたしが拙い護法を唱えたときに助けてくれたのも、深い闇に容易く亀裂を入れたのも、全部彼の力だ。あの蒼い炎は知っている。あの風の匂いも。

 だいたい、最初からなんかおかしいって思ってたの。あたしは手札を切り出す。

「いつの間にか部屋に居たり、と思えば急にいなくなったり。朝も昼も夜も、屋敷の中にいるのは見るのに玄関から外に出ていく姿を見た記憶がない。なのに住み込みでなくて側に家があると言ってみたりして。それに、おじいちゃんの時から居るはずなのに年齢が若そうだし」

 『常葉』が苗字なのか名前なのか聞きそびれていたけれど、それも当たり前のことだったのだと思い至る。出歩く必要がないのも、年齢が若く見えるのも当たり前だ。

「それからね、貴方には足りないものがある」
 どこからか桜の花が落ちる。闇の中で咲いていた薄紅は、いつの間にか遅咲きの蕾に戻っているのに。
「それは何?」
 ここにきて、やっと常葉があたしに答える。驚きというよりは興味、好奇心。あたしが何を言うのかを心底楽しみにしている顔だ。
 だからあたしは、期待に応えて突きつけてやる。

「マヨイよ、『迷い』」
 ほう、と相槌を打つ彼。その思考は何処までも分からない。
 構わずにあたしは続ける。靄がかってきた意識をぶつけることは、波立つ水面を澄ましその水底を明瞭に見せてくれる。
「不可視の何かに襲われても、躊躇う仕草ひとつ見せない。薊堂がなくなると聞いても、あたしのようなのがいきなり社長になっても同じ。不安も反発も、葛藤すらなかった。――知ってる? 人間って、悩む生き物なの」
 そうだ。あたしは悩み、迷っている。
 命に関わることでもそうでなくても、どんな些細なことでも、どうでもいいようなことでさえ、悩み、迷う。答えがあるとかないとかは関係ない。最初から持っているひとなんて極稀で、皆自分の踏み出す方向を考えている。
 迷うことは邪魔だと思っても、不必要だとは思わない。きっと悩まなければあたしは此処に居ないし、こうした決断も出来なかったはずだから。
 顔をあげて、じっと彼を見つめる。仕事用のスーツ、少しだけ長い襟足。日焼けとは無縁そうな白い顔。茶色よりは琥珀に近い瞳。どこからどう見ても二十七、八の日本人男性にしかみえない。だけど。

「人間らしく振舞ってるけど、貴方にはそれが無い」

 風の音すらしない中で、あたしのその言葉が強く空気を震わせる。
 交差する視線。逸らしてしまえば負けだと思ったから。
 足早な夕暮れの光が、常葉の瞳の色を深く深く色付かせ、輝く。琥珀の色は鋭く黄金へと。胸の奥に息が詰まる。窒息しないように、必死に呼吸を意識する。
作品名:薊色花伝 作家名:篠宮あさと