薊色花伝
手に収まる鏡。刀と対を成す御神体。それがやっと手の上で陽の光を浴びている。
時間を経ているとは思えない程に美しい色彩だった。羽の生えた獣と、ふわりと開く牡丹の花。
あたしはそれを、壊してしまわないように大切に抱えた。
勿論、白銅製の鏡がそんなに脆くないことは分かっていたけれど。消えてしまわぬよう、逃がしてしまわぬように、丁寧に両手で捉まえる。
『返して』。
『必ず逢えるから』。
今逢わせてあげるから、待っていて。
顔を上げれば、もう一度伊瀬さんの安堵した表情と視線が合った。彼は頷く。
「これで社が開きますね」
「はい。じゃあ私は、常葉と――」
社へ、と、応えようとして、あたしは言葉を見失った。
そうして、とっさに振り返る。
そういえば、あれからどれくらい経ったのだろう。ポケットの携帯電話を確認する。デジタル表記は簡単に四時を越えている。けれど、常葉は?
常葉は、何処に行ったの。
見渡した蔵の中にあたしの助手が居るはずはなく、開いたままの入り口にだって、影はない。
意気込みすぎてすっかり抜け落ちていた。約束は二時半のはずだ。彼の書置きにはそうあった。遅れるとしても、こんなに時間が開くはずがない。真面目な彼のことだから、忘れているわけもないだろう。
それなのに、どうして。
裏の楢の木が、ざわざわと音を立てた。
落ち着かないままに、伊瀬さんと共に蔵の外へ出る。とにかく、鏡が見つかったことを報告しないと。でも、何処にいるんだろう。依頼主の屋敷の中に心当たりは先刻の客間くらいだけれど。
それでなければ。
「おや、まだ探していたのかい」
声をかけられて立ち止まる。いつの間に帰ってきていたのか、玄関で華崎さんに会った。深く会釈をすると、ふわりと微笑む。それからあたしの抱えているものに目を留めて、細める。
「見つかったんだね」
「はい。あの、予定通りに社へ納め直しても良いですか」
緊張しながらも、助手の代わりに家主への報告をする。あたしみたいな子供に言われて、変な顔をされないだろうかと過ぎるけれども、華崎さんの表情は変わらず穏やかだった。
「勿論。宜しく頼みます」
元々は奉納品なのだし、それで二つが幸せになるのなら、と。華崎さんが頷いた。
刀と鏡、蝶と牡丹。
きっと、この先に待つのは一瞬の邂逅と永遠の乖離だけれど。それでも、寄り添うことが出来るのなら幸せのはずだ。
人でも、物であっても。
「それで……うちの常葉を見ませんでしたか」
「常葉さん?」
華崎さんは怪訝そうに瞬きをすると、やがて心得たように頷いた。ゆるりと右腕を持ち上げ、屋敷の裏手を指し示した。
「ああ、彼なら随分前に社へ向かったようだよ」
――やっぱり!
思うのと同時に、あたしは山道へ向かい走り出した。