薊色花伝
敷地内の西の端。努めて洋色の強い華崎邸の、前身の面影を残す白い土壁の建物。
屋敷自体は明治に入ってから建て直したもので、元は離れや庵のある武家屋敷だったらしい。おそらく、この蔵だけが彼らと同じ時代を生きた存在なのだろう。
「手伝いましょうか?」
「いえ、大丈夫です」
錠前を外してくれた伊瀬さんの言葉に遠慮を示して蔵の中へ。埃は随分飛んだようで、昼前より幾分か呼吸がし易い。
それに、先刻より大分片付いている。休憩している間も伊瀬さんやお手伝いさんが探してくれたのかもしれない。あたしは制服の腕をたくし上げて、まだ手のついていない葛篭を開いた。
書置きを残したものの、常葉を待っているつもりはなかった。見た目や大きさはさっきの書物から把握しているから、一人でだって探すことはできるはずだ。
鏡はいわゆる白銅円鏡。大きさは掌の上に乗る程度で、背面には花と獣の姿。素のままで納められているはずはないので、更に布や袋の中を開けることになる。
息を潜める空間の中で、あたしだけがばたばたと騒がしい。例えばこの蔵中の物に魂が宿っているとしたら、どんなに怪訝に思われていることか。
埃を吸ってしまい、むせ返る。邪魔になる後ろ髪を束ねて、また別の棚を開けてみる。
「この中にもない、か」
ふっと息を吐いて、また次の箪笥を開いてみる。
一時間程経った頃、はかどらない捜索を見兼ねてか伊瀬さんが顔を出してくれた。挫けてきた心もあり、有り難く手を借りる。
「伊瀬さんも、真っ白な女性の姿を見たんですか?」
引き出しの中身を丁寧に改めながら、会話の糸口として尋ねてみる。正面の桐箱の収納物を床に広げながら伊瀬さんが首を傾げた。
「ええ。でも」
言って、物思いに耽るように言葉を濁す。目が合うと、伊瀬さんは困った風に微笑する。
「実は、僕が彼女を見るのは今回に始まったことじゃないんですよ」
あたしは思わず手を止める。すると彼は益々困惑したように、まるで、昨夜の夢を手探りで説明するように眉尻を下げた。
「小学校に上がった頃、だったかな。当時はまだ此処は祖々父の持ち物で、遊びに来るのも年に一度か二度だけでした。――そう。彼女に逢ったのは、確かお盆の事だった」
伊瀬さんはその時の出来事を詳しく教えてくれた。好奇心でひとりで忍び込んだこの蔵。遠くには蝉の声が響いて、静かで神妙な気配を漂わせるこの場所が、まるで別世界のように感じたこと。
そして彼は逢った。蔵の最奥に、先刻まで鍵の掛かっていたこの場所に、見知らぬ女性が佇んで居た。
裾の長い、銀色の打ち掛けを羽織る女性。髪に揺れる大きな髪飾り。
肌から着物の裾までが透ける様に白く、美しかったこと。
そして一目見ただけで、人間ではないと感じたこと。
「何故かその時は少しも怖いとは思わなくて。それに、なんだか哀しそうで。思わず声をかけたんですよ、変な話ですけど」
「声を?」
伊瀬さんは頷いてみせる。
「ええ。思わず、『大丈夫?』と。すると相手は『必ず逢えるから』と。……今思えば、彼女はあの頃から探していたんですね」
その表情は、懐かしげに哀しい安堵。