薊色花伝
* * *
華崎邸に辿り着けば、昨日と同じように伊瀬さんが出迎えてくれた。華崎さん本人はどうやら仕事で忙しくしているらしく、報告もそこそこにそのまま蔵に通された。
目的は勿論、常葉が拘っている鏡――そう、一夜明けて『鏡』だと彼が断言したのだった。
「確かに存在していたようですね」
蔵中を纏めた書面には間違いなく鏡の所在が記されていた。けれど、肝心のそれが何処に紛れてしまったのか、影はあれども姿は見えず。立ち尽くしても仕方がないので、あたしたちは一角を手分けして探すことになった。
「あるとしたら、この辺りなのですが」
とは言っても、普段締め切られている蔵の中はじめじめと薄暗い。小さな電球と開け放たれた明かり窓からの陽光。その中に落ちる埃の影。捜索はどうも難航しそうだ。
桐箱や葛篭を開けて、それらしき包みを開いても、出てくるのは瀬戸物や和綴じの本ばかり。堪らずにへたりと床に腰を下ろす。制服の紺色に埃が付くだろうけれど気には留めない。
「ないわねぇ」
遥か頭上の梁を見上げて洩らす。随分古くて立派な建物だ。一体いつ作られたものなのだろう。
視界の端に常葉が映った。彼は何かを熱心に眺めているようだったけれど、やがてそれを持ってこちらに歩いてくる。
「でも、面白いものを見つけたよ」
差し出されたのはやはり和綴じ本。葡萄茶の表紙には墨字で何やら書かれているものの、随分色褪せているし、だいいち草書で読めない。覗き込んだ頁には挿絵と共に仮名文字の羅列。唯一読み取れたのは刀と鏡の文字。なんて書かれているの、尋ねると親切に教えてくれる。
「やっぱりあの石洞の御神体は二つだったみたいだね。それだけじゃない。ここには『二体を放すべからず』と記されてる。『隔たる時、禍を招く』。どのような災いがあるかは書かれていないけど」
「産土神だから、飢饉や日照りの類かしら」
だろうね、と頷く常葉。
刀と鏡、その二つを放してはならない。二つはどうやら何百年も前に同時期に納められたもので、以来あの石洞の御神体として奉られるようになったらしい。石洞が潰れた後は、表の社へ。それを放してしまったとき、災害が起こる。
災害が先立ったのか、それとも偶然に重なってしまったのか。真実を知る手掛かりは今になっては存在しない。それでも古くからこの土地の人たちは彼らを崇め、災厄を鎮めることで平穏を保ってきたのだろう。
それが途絶えた今、離れ離れになった二体が何を思うのか。
「この二つは長い間離されていたのよね。それなのに何も起こらないのは、災いが迷信ってことかしら」
少なくとも刀が華崎邸に飾られていた間は、鏡と別々に離れていたことになる。なのに日照りどころか地震すら心当たりは無い。災害といえる災害はなく、代わりに刀が消えたり真っ白な女性の姿が見られるようになったり。華崎さんから聞いているのはそれくらいだ。
おそらく常葉もそれには気づいていたのだろう。僅かに眉根を寄せて、
「それは恐らく、力が薄れている所為だよ」
その哀しげな瞳に思わず息を詰まらせる。
ちから。それはつまり、生きるものの、生きるための力だ。
古来より、日本に住まう人々は万物に魂が宿ると考えてきた。草にも木にも、自らの手で作り出したものにさえ。つまりそれは、刀や鏡にも当てはまること。
そして、人間にも寿命があるように、生きるものには刻限がある。時間が進めば若いものも老いて、灯火は弱まっていく。
弱くなった魂はどうなってしまうか。この表紙の文字のように煤けて薄れてしまったら、読み取れないくらいに見えなくなってしまったら。
或いは既に……
『返して』。
ふと、華崎さんが見たという女性に想いを馳せる。
純白の凛とした佇まい。大きな蝶の髪飾り。見たこともないはずのその姿がありありと浮かび、哀しげな顔に声が重なる。
きっと彼女は刀だ。刀の魂が形作られたもの。刀は探していたに違いない。片割れを。鏡を。
何故か、強くそう感じた。