薊色花伝
我が家兼バイト先に戻ってきても、あたしの眠気は居なくなってくれなかった。
寧ろ華崎邸を後にした時から増して思考が鈍くなっているのが分かる。常葉の事務仕事が終わるまでは執務室に残ろうと頑張っていたのだけれど、どうもそれが仇になったらしい。
すっかり日の落ちた窓の外。
ソファに座っていたはずが、その心地良さに頭を預けて。
いつしか目蓋を開けているのさえ億劫だった。
「僕は帰るからね。戸締まりはしていくから、ちゃんと部屋に戻って休むんだよ」
「うん……おやすみ……」
仕事を終えたのか、席を立つ常葉の気配。けれど、それを確認することが出来ない。
結局彼に届いたのかも分からないくらいの相槌を打って、パタリ、扉の閉まる音を遠くに聞いた。
ふわふわ。
ふわふわ。
まるでソファに溶けて行くような心地。
彼が帰ってからどれくらい経ったか分からないけれど、どうやって起きればいいのか分からなかった。
ふわふわ。
ふわり。
あたたかい。
気づけば放り出していた体躯に毛布がかかっている。それに何の疑問も持たないまま夢の淵を彷徨う。
ふわり。
額に乗せられた掌。
だれ?
僅かな違和感も声にはならない。
精一杯持ち上げた目蓋の隙間から外を見れば、出て行ったはずの『彼』が戻ってきていた。
でも、顔すらあげられない。目をあけているのがやっと。
その目蓋さえも、掌が再び重力を強めさせる。
「――害はないと判断したから、散らすだけで済ませてあげたのにね」
薄暗闇に声が届く。
それは彼の声に違いはないけれど、何を言っているかを判断できる思考が残っていない。
言葉はただの記号として、まるで異国の言語のように音だけが耳と脳をすり抜けていく。
「それなのに君に危害を加えようとするなんて。僕も随分軽んじられたものだ」
「ときわ……?」
やっとの思いで名前を呼ぶ。
ふっと微笑む気配。あたたかい声と掌。
いつもと変わらないはずの。
「大丈夫。明日には終わらせるから。だから安心しておやすみ」
その声がついに夢の入り口へとあたしを押しやる。
奥へ奥へ。やわらかいノイズの先へ。
背中を押した掌が遠ざかっていくのか、それともあたしの意識が飛んでいくのか。
それももう分からないけれど、夢が、すぐそこにある。
夢へ。
夢の奥底へと。