薊色花伝
5.闇と蒼色
暗い。
夜よりも暗く昏い場所に放り出されたのだと分かった。
だってここは、何もない。音も聞こえない、空気の流れも、起きているのか眠っているのか。それよりも、あたしはここに居るんだろうか?自分の心臓の音さえ見つけられない『無』の中で、あたしがひとつ浮かんでいる。
何かないか、手を伸ばして足を踏んばって、声を上げて求める。
しかし掴めるのは空、踏み締めるのは無、発せられるものはただただ虚。恐ろしいという感情さえ見つからない。
だめか。諦めて手を下ろす。
我ながらこの落着き様は感心する。人というのは得体の知れないものに怯えると思っていたのだけれど。それとも、この凪いだ心さえ無の成せるもの?
『かえして』。
何を?
最後に聞こえた声が今も頭の中に響いている。
心の中で呟いてから、祖父に教わった九字を切ってみる。気配さえ掻き混ぜられなくて静に戻る。ため息をついたけれど、吐息になったかどうか。
唯一判るのは、このままだとあたしも無になるということ。
どうにかしたくてもならないものがあると知るのは悟りに近く、そして悔しかった。
次第に時間の概念も消える。
鼓動さえ聞こえない中では、一秒の長ささえ定かではない。
ここに揺れ始めてどれくらい経つのか。一分か、十分か、はたまた十年なのか。
これではまるで夢の中のようだ。蝶が見る人間の夢。人間の見る蝶の夢。
薄れていくのだ。境界が。
そしていつしか、あたしも消える。