薊色花伝
伊瀬さんが屋敷に戻った後も、あたしたちは引き続き妙なところがないか確かめることにした。
縁の下も社の背にも、当たり前のように中の様子を窺える窓も戸もない。地盤が緩んで扉が歪んだか、それともこれこそ蝶番が悪いのか。いずれにせよ開く事が出来なければ刀を納めなおすことは出来ない。
とはいえ、扉が開かないこと以外に変わった所はなさそうだ。
「どうなのかしら」
呟くと常葉が顔を上げた。あたしは独り言を切り上げて彼に尋ねる。
「この社と、刀がなくなること。関係があると思う?」
普通に考えたら不可解なことだ。なくなってしまうのは証言があるのだから確かだとして、奉納品だった事実に関係はあるのか。
それに気になるのは、誰もが見ているという白い女性の姿。
これら全てが繋がっているものなのか、判断できる基準がない。
半信半疑なあたしに対してスーツ姿の彼はさらりと頷く。
「あるよ」
感心を通り越して呆れてしまう。
本当に、この人はいつだって自信有り気だ。違うわ、経験から、知識から、自信があるのだろう。頷けるだけの根拠を聞くとまた挫けてしまいそうなのでやめておく。
「だけど、開けないことには話が進まないな」
再び扉に手をかけて揺らしている。力を入れているのかさえ疑わしいくらい、扉が突っかかる音さえしない。
それを横目で見ながら、疲労を逃がすように、ふうっと溜め息を零す。
その瞬間だった。
――。
え?
とっさに顔をあげる。常葉に呼ばれた気がして振り向いたのに、彼の様子は変わらない。
今のはなんだろうと、首を傾げる間もなく、また何か。
――、て。
聞こえた。それが社の裏側から聞こえると気付くには幾らもかからなかった。
ふわんふわんと、反響する音。木々の合間に届く音。
――まるで人の声にも聞こえる。
あたしは一人、社の裏手へと周り込んだ。風の音かもしれない、鳥の声かもしれないと言い聞かせながら。
けれど、近付けば近付くほどそれは疑わしくなっていって。
辿り着いたのは崩れかけた石洞の入り口。声のようなものは、ううん、『声』はこの中から聞こえる。
かすかに揺れていたはずの森の青色は、いまやピタリと静まっている。風が吹いていない訳ではない。それなのに驚くほど音がしない。
まるで、皆息を潜めてしまったような。
それに、なんだろう。さっきとは何かが違う。
「翠仙ちゃん?」
表から常葉が呼びかける。あたしは黙ったまま洞を見詰める。
なんだろう、何がおかしいんだろう。先刻と違うところは何もない筈なのに。潜れそうもない入り口と、張り巡らされた注連縄と……
「あれ……?」
そこでやっと気が付いた。
「注連縄がない?」
口にしてから首を振る。
違う、注連縄が見当たらないんじゃない。縄はしっかり入り口を塞ぐようにかけてあって、端が斜面にしっかりと固定されているのが見て取れる。
消えたのではなくて、注連縄ごと入り口を覆うように洞の中から滲み出しているのだ。何かが。
真っ黒い煙のような、霧のような何か。それは少しずつ辺りに広がって、いつの間にか視界が薄暗くなっている。