薊色花伝
庭を抜けたほうが近いという話なので、玄関には向かわずに渡り廊下から裏手へ降りることになった。
履物はどうするのかと、心配する間もなく家政婦さんがあたしたちの靴を運んできた。いつの間に指示していたのだろう。
靴脱ぎ石から順番に靴を履いて外へ。伊瀬さんに続いて常葉、あたしは最後にスニーカーに足を入れる。
と、支えにしていたはずの雨戸が突然動いた。ざわりと葉の音がして――
バァン!!
「――翠仙ちゃん!」
風?と思った時は既に遅く。
分厚い雨戸が、大きな音を立てて閉じた。
血相を変えた常葉があたしの名前を呼んでいる。
あたしはというと、
「大丈夫…なんとも、ない…」
ぎりぎりで手を離していたから何事もなかったものの、思わぬ横風に顔を背ける。
眩暈がして足許が定まらない中で彼の腕があたしの正気を保たせた。大丈夫ですか、と焦った伊瀬さんの声もする。
「ねぇ、それより――」
常葉はやや険しい顔で分厚い木の扉を見上げる。
風雨に晒された表面は塗装が剥がれかけているが、まだまだ頑丈そうだ。今くらいの風で閉じてしまうとは思えなかった。
「立て付けが悪い、ということではないようだね」
蝶番の様子を確かめながら彼が呟く。強風に閉ざされた戸はすんなりと開き、風も先から吹いていなかったように静まっている。
「何かいる?」
「かもしれない。まだ、分からないけれど」
分からない?本当に?
とっさに思い出すのは、この屋敷に来たばかりの一瞬。
一歩踏み込んだときのあの妙な感じ。それに、今の扉。
まるであたしに出て行けと言っているような――
そこまで考えて、ゆるゆると打ち消す。考えすぎに決まってる。雰囲気抜群な山奥に来てちょっと過敏になっているだけに違いない。
言い聞かせて頭を振ると、あたしよりずっと不安気な瞳が見下ろしていた。
「やっぱり帰ったほうがいい。キミが怪我をしたら桂一朗さんに申し訳がたたない」
一瞬で感傷的な気分が払拭される。彼の手を振り払うように立ち上がり、スカートの裾を直しながらじろりと睨み返してやる。
「申し開きなんてしなくていい。嫌ならひとりで帰って」
「そうじゃなくてね……」
煮え切らない言葉と態度に苛々が募った。本当に、彼は引率でもしているつもりなのだろうか?
急に入ってきた女子高生風情が、慣れた仕事のペースを崩すかもしれないことは最初から分かってる。だけどあたしはか弱くなんてないし、お荷物になるほどトロいつもりもない。
あたしは見たいのだ。祖父がしていたこと、父が投げ出したもの。
あたしに辿り着けるのかどうか。あたしが、続けられるのかどうか。
それが後押ししてくれた祖父への誠意だと思っているから。
「社に連れて行ってもらえますか」
だから今度は聞こえないふりで、心配をかけた伊瀬さんに頭を下げる。
絶対に後ろで神妙な顔つきをしているだろうと予測しながら。