薊色花伝
「――私がその姿を見たのは、後にも先にもその夜だけだ」
華崎さんはふらりと窓の外を眺めた。つられるようにして目を遣った先は池があり、その向こうに生垣が茂っている。
「しかし、屋敷の者も幾度となく見たと口にするものでね」
もしかしたら夢かもしれないと、彼は付け加えて照れたように笑った。
確かに、月見酒で酔いが回っていたのならそう考えるのが普通かもしれない。あたしだってそんな月の綺麗な夜に見慣れないものを目にしたら幻想だって思うだろう。華崎さんと目が合って微笑みを返した。
けれど、常葉だけはじっと刀を見たまま。まるで何かを探しているかのように鞘や柄を見分している。
小さく頷き、やがて静かに問うた。
「確認させて戴きますが、この刀は本当に蔵にあったのですね」
「ああ――」
顔を上げたのをすぐ間近で見詰める。その目は真剣で、いつかのように強い光を見た。
手には日本刀。かちりと鞘に戻しながら、もう一度視線を落とす。
「これは代々伝えられて来たものですね」
「ああ、そう聞いているよ」
「此処の傍に祠か社はありませんか」
なんだろう、酷くざわざわする。
表情の所為だろうか。普段微笑んでいることが多い彼だからこそ――ううん、違う。彼の言葉のひとつひとつに込められた気配だ。淡々と事実を確認しているだけのはずなのに、何だろう、咎める色が交じっているような気がして。
「この刀は、そこに納められていたものではありませんか」
常葉が、すっと目を細める。華崎氏は一瞬だけ視線を逸らし、それから覚悟したように彼と同じくらい真摯な瞳で応えた。
「……実は、先代からはそうだったと伝え聞いている」
窓の外で木々がざわりと鳴った。